ノウルーズと言う祭事は初めて知りましたが、世界ではいろんな時期にいろんなお正月が有って面白いですね。
話が飛ぶようですがタイのお正月、4月の半ばごろに行われる水かけ祭りに行きたくなりました。
このところ欧州各国の政情や日・米・欧の関係などのニュースに気をとられていたが、この種の話は正直なところ気分が高揚しないし、むしろ腹立たしいことが多いので、何かもうちっと楽しい話題はないものか、と考えていて、あ、そうだ、もうすぐノウルーズだ、と思い出した。 ノウルーズとはペルシア語で「新しい日」という意味で、イランの正月である。通常は3月21日、日本の春分の日に当たる。今年日本では3月20日が春分の日らしいが、多分イランではやはり21日だろう。 そのことを夫に言うと、うん、それは先日テレビ番組でも取り上げていたけど、クルド人の祝日でもあるそうだよ、という。へえー、それは初耳だ。 ネットを探したら、「イランの正月『ノウルーズ』の祝い方―BBCニュース―BBC.com」というのがあって、イラン人女性(BBC職員だからスカーフなんか被っていない)がこの祭事の説明をしていた。もちろん日本語のアフレコ付き。 そのショートカットのモダンなイラン人女性がいうには、夫から聞いた通り、イランのみでなく「アゼルバイジャンから中央アジア、インド北部まで1億9千万人がノウルーズを祝うと考えられている」そうな。 そのためノウルーズがイランのゾロアスター教に起原を有するという説に納得しない人もいるようだが、私が昔読んだ古代史の本には確か、バビロニアでも1年は春分の日をもって始まった、というようなことが書かれていた。 アッシリア、バビロニア、メディア、ペルシアという中東・西アジアの歴史の流れを追っていくと恐ろしく長たらしい話になるので省略して、とにかくこの辺りに栄えた古代文明がこのお祭りの根底にあるということは、人の世の営みの継続性を実感させて嬉しくなるではないか。 あえてこの文明に触れると、暦と天文学とは切っても切れない関係にあるから、春分の日=元旦ということには天文学的根拠があるはずだ。メソポタミアとその周辺もだが、エジプトでも天文学は文明の礎石を成すものだった。 そしてペルシアも古代から中世に至るまで著名な天文学者を輩出している。 私がノウルーズについて初めて知ったのは、今から35、6年前の「イランの正月」に日本人女性と結婚した在日イラン人の家に招かれたときだった。 上記のBBC番組にあるように、ハフト・シーン(7つのS)に相当する品々がテーブルの上に並べられている。これらの吉祥品(?)については番組をご覧いただきたいが、私の記憶ではニンニクやリンゴはともかく、一部手に入れにくいものもあって、その場合はSがつけばいいということで、代用品も置いてあったような気がする。コインだったかなあ。 (ということを思い出し、さきほど念のためにウィキで調べたら、コインを意味するペルシア語は سکهでペルシア文字のSが付いていることが分かった。昔のことはよく覚えているものだ。) 時間の制限からか番組で述べられていないことを補足すると、金ぴかのテーブルの上に乗っている金魚鉢入りの魚は、これも正月の必需品。ナントカ・マヒと呼んでいて(これは完全には思い出せない)、マヒは魚のこと(と思う)、ナントカの意味は赤。赤い魚であればいいわけだが、緋鯉はテーブルの上に飾るには大きすぎるので大抵は金魚である。 もうひとつ、さりげなくヒアシンスの花が置かれている点にご注目。イラン人はこの花を熱愛していて、私が招かれた家でも、ご主人が血眼になってこの花を調達したそうな。 雛祭りの桃の花、端午の節句の菖蒲のようなものですかねえ。いや、それよりも、かつてのオランダ人のチューリップへの情熱に似ているかもしれない。 と、まあ、そんなところだが、もう一つ、35年ほど前にノウルーズのことを知って私が飛び上がるほど驚いたのは、BBCの番組でも出てくるチャハールシャンベ・スーリーである。 これは年末最後の、ということはノウルーズ前の最後の水曜日に行われ(チャハールシャンベとは水曜日のこと。因みに土曜がシャンベで月曜日はドシャンベ)、焚火の上を飛び越える行事である。 なぜ驚いたかというと、私が子どもの頃に同じ行事が村であったからだ。ただ、春分の日ではなく立春・節分の時期だったと思うが、夜に村の四つ角で火を焚いて、それを飛び越えると1年が息災に過ごせるというようなことが言われていた。 それで母親から「焚火が始まるから行って飛び越えて来なさい」と促された記憶がある。 村が近代化されるにつれてこんな古い習わしは姿を消し、私の弟妹もまったく記憶がないという。 この遠い記憶とイラン人から聞いた話があるので、私はイランを舞台にした松本清張の「火の路」という作品について知ったとき、アッと思った。 先日ろれちゃんのブログへのコメントで、「花喰い鳥」という吉祥紋について触れたが、これもササン朝ペルシアから(多分唐を経て)日本に伝わった文様とされる。その他正倉院の宝物には、ペルシアから到来したと思われる品が少なくない。 ノウルーズはだから、日本人とまったく無関係の話でもないようですよ。 写真は私がイラン人家庭で何度かご馳走になったチェロカバブ。あ~、また食べた~い!この料理のためのライスは、日本人のいう「外米」でなきゃダメです。 |