あるときセヨオムが自宅での昼食に招いて呉れたが、アブラハムはいつも通り市内の自宅へ帰った。おそらくセム族とは食習慣が異なるからだろう。 アブラハムは穏やかなユダヤ人顔で、三千年前にエルサレムからサバに連れてこられた血筋かもしれない。セヨオムもアブラハムも名前であって姓はそれぞれメセレとW.ミカエルと称し年齢は31歳でカブキよりひとつ上だった。 変電所の入口脇の建物はEELPAの官舎で、3Kほどの住宅に変電所長セヨオムはひとり住んでいた。中にはいると部屋の中央にはすでに馬鹿でっかいクレープのようなものが拡げてあった。 インジャラという薄焼きパンで、脇に添えられている肉(ケイウォット)や野菜(アリッチャ)を指でちぎったインジャラで包み香辛料の効いた三種類のソース(カティカラ)をつけて口に運ぶ。 セヨオムを真似て右手の親指から中指までの三本の指だけで食事する。ホテルでナイフフォークを使ってのいつもの食事とは違って野趣も感じられるが伝統ある厳かな食事であった。 辛いもの好きのカブキが「美味い!」と声をあげるとセヨオムは隣室に声をかけ、現れたのは頭を布できっちりと包んだハム系女性、ギョッとしたのは彼女が大きな出刃包丁を握ったままだったからだ。エチオピア女性に驚くのは三度目だ。 セヨオムは独身だから近所の村人に手伝って貰って昼食を用意したのだろう。セヨオムが「お客が美味いって」とでも言ったのか、彼女はニヤリと白い歯を見せて笑って会釈した。 いつもの昼食はホテルまで往復するので昼休みは2時間組まれていたのでこの日はゆっくり食後の時間を過ごせた。セヨオムはオートチェンジャーつきの日本のステレオ装置でレコードを聴かせてくれた。 山羊の乳入りの甘い紅茶を啜りながら「バッカ?」とセヨオムが訊く。「バッカって?」「もう十分かと」「そうか、よしバッカ、バッカだ。日本じゃバッカというと相手は怒るよ」と笑った。 後にも先にもインジャラを食べたのはあの時だけだが、思いだす度にもう一度あの雰囲気を味わいたい、ソースのレシピがあれば作ってみてもいいなぁと考える辛いもの好きのカブキだ。 |