5月26日のハイキングは、京都の西高瀬川に沿って嵐山から四条大宮まで歩きました。 西高瀬川は江戸末期に開削された人工河川(運河)で、嵐山・渡月橋の上流で大堰川(おおいがわ=桂川の中流)の水を取り入れて東に向かった後、二条城の西の通り(千本通)の手前で南に折れ、曲折を繰り返しながら最後は伏見の下鳥羽の辺りで鴨川に合流します。 川の名前は、この川が開削される250年ほど前に開削された高瀬川(鴨川の西を並行して流れる)に対して、西にあることから命名されたものと思われます。
10時半に渡月橋北詰に集合、少し上流にある堰まで行きました。ここがハイキングのスタート地点で、西高瀬川はここから大堰川の水を取り入れて東へ流れていきます。 この場所は何度も行っているので知っていましたが、この水路が西高瀬川の始まりだということは今回初めて知りました。と言うより、西高瀬川の存在自体知らなかったのです。
水路は渡月橋の下をくぐったところから地下に潜り、堤防の下を流れていきます。
少し行くと、山から流れてくる小さな川が堤防を横断し大堰川に合流していて、その向うに水路が見えます。 地下を流れてきた西高瀬川の水がここで真上に噴き上げて、地上を流れる川になるのです。これは「逆サイフォン」の原理(後述)によるものです。
やがて水路は大堰川から離れて街の中を流れます。ここまでくると幅も少し広がって、だいぶ川らしくなりました。
古い神社や祠を巡りながら先へ進みました。
そんな中で一風変わった神社がありました。車折神社(くるまざきじんじゃ)ですが、広い境内の中に「芸能神社」という社がありました。http://www.kurumazakijinja.or.jp/geinoujinja.html 夥しい数の朱塗りの玉垣(木製)が社を取り巻いていて、そこには芸能人らしき名前がズラーっと並んでいます。芸能界に疎い僕でも知っている有名人の名前がいくつかありました。 こんな神社を見たのは初めてですが、本殿の賽銭より、こちらの玉垣奉納料の方が遥かに多いと思われます。
このあと参道入口の向いにあるコンビニで弁当を買い、西高瀬川に沿って次の目的地「蛇塚古墳」へ向かいました。 途中で、山から流れてくる河川を横断するところがありました。ここでは上流から流れてきた水は地下に潜り、河川を横断して再び地上に噴き上げる「逆サイフォン」が設けられています。
蛇塚古墳は住宅地の真ん中にあります。巨大な石組が露出していて、飛鳥の石舞台古墳を髣髴する姿です。 太秦の地名からして、渡来人の秦氏一族のものであることは間違いないでしょう。
ここまで来たとき、時刻は12時を過ぎていたので、近くの児童公園で昼食の弁当を食べました。 昼食後、次の目的地「天塚古墳」に向かいます。 (続く) |