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2017年06月02日(金) 

5月26日に歩いた西高瀬川ハイキングの道中記(続き)です。

 

昼食後、住宅と工場と農地が入り混じった雑然とした街並みの中を東へ歩きました。田圃ではもう田植えが終わっていました。

 

 

更に進むと、路地の奥に森と朱塗りの鳥居が見えました。森は「天塚古墳」で、鳥居は「伯清稲荷大明神」のものです。

古墳は前方後円墳で、墳丘の周りが歩けるようになっています。墳丘の向う側へ回ると、2つある横穴式石室のうちの1つが中に入れるようになっていて、中には祭壇がありました。祀られているのは伯清稲荷大明神のようです。

この古墳の被葬者は、先に見た蛇塚古墳と同様、渡来人秦氏一族と考えて間違いないでしょう。

  

 

 

古代の遺跡を見たあと、再び近世の遺跡・西高瀬川に戻り、東へ向かいました。

西高瀬川は、やがて天神川によって分断されます。

これは昭和10年の大水害を機に行われた天神川改修工事で非常に深く掘られたために、元々逆サイフォンか何かで繋がっていた西高瀬川が分断されてしまったものと思われます。

下の写真は天神川を上流(北)側から見た風景ですが、鉄橋(京福電鉄嵐山線=嵐電)の向うで右から落ちている水は嵐山から流れてきた西高瀬川、手前の左側から落ちている水は下流(東)へ向かう西高瀬川ですが、不思議なことに逆に流れています。

逆に流れているのは、水源がなくなってしまったために天神川の水を取り入れてポンプで1.3kmほど先まで送り、勾配を逆に付けて東から流れるようにしたものだと思われます。この改修工事はつい最近に行われたことが写真から分かります。

 

 

東へ行くと、次々と由緒ありげな神社が現れるのは京都らしいところです。

  

 

やがて川は三条通の北側を並行して流れるようになりますが、ここでは水辺がきれいに整備されていました。しかし、柵があって水辺に下りることができません。《何のためにやったのかな?》

 

 

西大路通の近くまで来ると、川底から水が湧き上がっているところがありました。天神川から送られてきた水だと思われます。

湧き出た水はここで東西に分かれて流れていきます。つまりここが分水嶺で、水の大半は東方向(つまり本来の下流)へ流れています。

 

 

このあと、川は京都の中心部を流れていきますが、そこで見たことは次回に譲ります。


閲覧数142 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/06/02 08:22
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