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2017年06月01日(木) 
 旧館山海軍砲術学校(註1)の開校記念日の1日、同学校があった千葉県の館山市佐野の跡地に建立された館砲平和祈念塔前で祈年祭が行われた。
 同校は、1941(昭和16年)6月1日、陸上における対空射撃や、陸戦隊関係の戦術を教育する機関として開設された。
 この日は館空会の海老原武雄会長と元第21航空群司令の日向錦次郎さんら10人が参加。祈念塔周辺の草取りなどに汗を流した後、同学校で訓練に励んだ先人たちを偲んだ。
 この後、私は、長くこの祈念祭を支えてきた庄司兼次郎さん(89)=海軍特別年少兵、館山市在住=を訪ねた。交通事故にあわれ自宅で療養中だったが、お元気そうだったので安心した。

・写真4枚:館砲平和祈念祭
https://twitter.com/nansounotora/status/870186173343309824
・写真4枚:館砲平和祈念塔
https://twitter.com/nansounotora/status/870211683758637056
・写真4枚:炊事場跡。赤レンガの建物が残っている
https://twitter.com/nansounotora/status/870228725459148800

・註1:館山海軍砲術学校 特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム
http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=53&TXSI…r4a0merj66

・写真館「旧館山海軍砲術学校」 Mytweets
https://twitter.com/search?q=nansounotora%E3%80%80%…2&src=typd

閲覧数688 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2017/06/01 16:41
公開範囲外部公開
コメント(3)
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  • 2017/06/01 19:43
    ベッガさん
    祈念祭を維持しておられる方々も次第に少なくなるでしょうね。

    もうだいぶ前のことですが、戦争の悪夢を忘れる日が来てほしいとも思うし、忘れるときが来ないでほしいとも思う、という趣旨の歌を詠んでいる老婦人がいました。

    こちらでも、ナチ収容所の経験のある人のほとんどが物故してしまい、何かの記念日に100歳近いユダヤ人がその記憶を語ったりすると、日本人の私でも複雑な気持ちになるので、ドイツ人はどんな思いだろうとよく考えます。
    次項有
  • 2017/06/02 08:57
    > ベッガさん

     敗戦体験で、ドイツと日本で決定的な違いがあるように感じます。前者はソ連軍の国内侵入を受け、後者は受けずに済んだ。その違いは大きかった。抑圧された人間が弱者に対してどう振舞うかの見本が当時のソ連兵です。
     多くのドイツ人女性が人身御供にされた。
     日本人女性も、満州に取り残された人たちは、酷い目にあいました。関東軍の将軍や国策会社満鉄の社員とその家族たちは、いち早く、専用列車を仕立てて逃亡した。
     旧館山海軍砲術学校で促成教育された若き見習い士官たちを南の島々で待っていたのは、飢えとの戦いでした。
    次項有
  • 2017/12/12 21:17
    第7期さん
    突然の書き込みで失礼になるかと思いましたが、筆を取らせていただきました。自分の祖父の昔の事を改めて知りたいと軍歴簿を取り寄せましたら、ここで記事がありました館山砲術学校の文字が記載されておりました(館山砲術学校第8期普通科砲術陸戦練習生、及び館山砲術学校第7期高等科砲術陸戦練習生)。館山砲術学校の事を調べても廃墟の記事ばかりで、そこでどんな生活を祖父がおくったか、そこがどんな場所であったかをなかなか知る事ができませんでした。なにか情報等を知る方法の手がかりとなる物があればお教授いただければ幸いです。突然の不躾なご連絡すみません。
    次項有
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