祈念祭を維持しておられる方々も次第に少なくなるでしょうね。
もうだいぶ前のことですが、戦争の悪夢を忘れる日が来てほしいとも思うし、忘れるときが来ないでほしいとも思う、という趣旨の歌を詠んでいる老婦人がいました。
こちらでも、ナチ収容所の経験のある人のほとんどが物故してしまい、何かの記念日に100歳近いユダヤ人がその記憶を語ったりすると、日本人の私でも複雑な気持ちになるので、ドイツ人はどんな思いだろうとよく考えます。
旧館山海軍砲術学校(註1)の開校記念日の1日、同学校があった千葉県の館山市佐野の跡地に建立された館砲平和祈念塔前で祈年祭が行われた。 同校は、1941(昭和16年)6月1日、陸上における対空射撃や、陸戦隊関係の戦術を教育する機関として開設された。 この日は館空会の海老原武雄会長と元第21航空群司令の日向錦次郎さんら10人が参加。祈念塔周辺の草取りなどに汗を流した後、同学校で訓練に励んだ先人たちを偲んだ。 この後、私は、長くこの祈念祭を支えてきた庄司兼次郎さん(89)=海軍特別年少兵、館山市在住=を訪ねた。交通事故にあわれ自宅で療養中だったが、お元気そうだったので安心した。 ・写真4枚:館砲平和祈念祭 https://twitter.com/nansounotora/status/870186173343309824 ・写真4枚:館砲平和祈念塔 https://twitter.com/nansounotora/status/870211683758637056 ・写真4枚:炊事場跡。赤レンガの建物が残っている https://twitter.com/nansounotora/status/870228725459148800 ・註1:館山海軍砲術学校 特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=53&TXSI…r4a0merj66 ・写真館「旧館山海軍砲術学校」 Mytweets https://twitter.com/search?q=nansounotora%E3%80%80%…2&src=typd |