先日のろれちゃんのブログに触発されて、これまで自分とは無縁だと思っていた「源氏物語」なるものについて、ちょっとは齧っておこうとほんの少しだけ調べてみた。
実は数年前に、今は故人となった昔の職場の大上司からの年賀状に「目下サイデッカーの源氏物語・英訳版を読んでいます」とあって、ええ~っ、いくらかつての秀才エリートとはいえあんな堅物が、と驚いて、どんな内容なのかと興味が湧いたこともある。
そもそも、高校の古典の授業で、イズレノオホントキニカ ニョウボコウイアマタハベリケルナカニという出だしを読んだ(読まされた)ときから、あ、こりゃだめだ、と拒否反応だった。
それに比べると「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」の方が遥かに高尚に思えたものだ。
といっても源氏物語については完全無知というほどでもなく、いろんな作家、特に女流作家のエッセイなどに引用が時々出てくるし、今回ろれちゃんが読んだ現代語訳・源氏物語の訳者である田辺聖子の古典に関する(軽めの)著作で読んでいたので、男らの雨夜の品定めとか末摘花の容貌、花散る里の人がらなどは、一通り知っていた。
で、このたびネットを駆使して(というほどでもないが)あれこれ覗いてみて、やっぱりダメだわ、こりゃ、という結論に達した。
何しろ登場人物が多すぎる。一人一人名前を覚えるなんて到底不可能。しかも結婚や昇進で身分が変わると呼称も変わるので、とてもストーリーの流れについていけない。そばに登場人物のリストでも備えておかないと、誰が誰だか、何が何だか、分からなくなる。
ではあるが、光源氏も、彼に惑わされ翻弄される数多くの女たちも、今はやりの「ジェンダー・スタディ」の一環として読めば、あるいは当時の社会の研究資料とすれば、なかなか面白いかもしれない。
個人的には、私も女だから、ろれちゃん言うところの「毎日を嫉妬に狂う精神的虐待」を受ける紫の上やらナントカ女御、カンタラ御息所など、哀れすぎて見ていられない。
次々と現れる若い愛人や、源氏の新たな恋愛関係にハラハラ、イライラの日々を送る女たち。
男の方も源氏の不義の子とか、妻が産んだ親戚の青年の子とか、娘婿を嫁にとられた大臣とか、恋愛地獄の沙汰に生きた心地のない人たちがいっぱい。
何なんだ、これは、と呆れながら読んでいて、昔読んだ芥川龍之介の恋愛に関する格言(アフォリズムというべきか)を思い出した。彼によれば、要するに、恋の病は暇人のかかるものだというのである。
それでこれもネットを調べたら、龍之介の「侏儒の言葉」の中に、次のような文章があった。
「我我を恋愛から救ふものは理性よりも寧ろ多忙である。恋愛も亦完全に行はれる為には何よりも時間を持たなければならぬ。ウエルテル、ロミオ、トリスタン――古来の恋人を考へて見ても、彼等は皆閑人(ひまじん)ばかりである。」
いやあ、仰せの通り。
平安時代の貴族なんて、出世競争があると言ってもそのために実を削るほどお勉強することもなかったろうし(夕霧が受けた試験なんてどんなものだろう)、女たちに至っては毎日どんな暮らしぶりだったのか。
朝起きて朝食の支度をする必要があるでなし、掃除も洗濯も下女がやるし(十二単なんかどうやって洗った?)、子育ては乳母任せ。
お茶するったって、飲み物も菓子類もろくなものがなくて、品ぞろえにあれこれ心を配るということも稀だったろう。
そもそも、源氏物語にお衣装の話、着るものをどうするかという騒ぎはしょっちゅう出てくるが、食べ物の話題はないような気がする。ちゃんと読んでないから分からないけど、ろれちゃん、どうですか。
で、こんだけ暇だと、男と女のことしか考えること・やることはないですよね、当然。
だから、嫉妬や猜疑や焼きもちから自由になりたければ、結局は忙しくするしかない。もっとも平安時代に忙しくすると言っても、歌を作るか書画の腕を上げるか、琴や笛の練習に時間を使う程度で、身分の高い人が庭いじりもできないし、台所に立つわけにもいかない。
一つ面白いと思ったのは、源氏物語の女たちの多くが自分の身過ぎ世過ぎ、つまり経済的な状況に不安を抱き、内心びくびくしながら暮らしていることだ。
これは天皇の正妻や中宮といえども変わらず、崩御したり退位なんかされたりで夫の後ろ盾を失えば、きれいなおべべも誂えらることは難しくなり、侍女の数も減らされる。
そんなんで最後は鬱になり、解決の常套手段は出家して尼になること。幸い、と言ってはなんだが、当時は寿命も短かったから尼寺が満員で入所待ちということもなかったろう。
くだらない雑感をあれこれ書いてきたが、要するに言いたいのは、みんな適当に忙しくしてしっかり頭を使って、自分の趣味・興味を持ち、くだらないことに心を悩ませる時間を減らしましょう、ってことです。
そして女は経済的にも自立して、夫の心が若い女に奪われても日常の暮らしにはちっとも困らないようにしておかねば。
思えば、私たちよかったねえ、今の時代に生まれて、職業や趣味や良い友人がもてて。
それと、源氏物語を垣間見て深く印象づけられたのは、日本語の美しさ。帚木、初音、夕顔、胡蝶、篝火、御法、雲隠・・・各章のタイトルだけでもこんなに素敵な言葉が並んでいる。
これはまあ、暇にあかせての超才女の能力発揮で、千年余りの昔にこういう女人を生んだ日本、やっぱり捨てたものじゃない。
実を言うと私はやっぱり、紫式部がケチョンケチョンにけなした清少納言の方にシンパシーがあるのですが。