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2017年09月08日(金) 

 好きな言葉は「LET IT BE」。
                       
 3日、秋篠宮家の長女眞子(まこ)さま(25)と婚約が内定した小室圭(こむろ・けい)さん(25)の記者会見での言葉だ。これを聞いて、すぐ「法然(ほうねん)」を思い浮かべた。

 

 法然というと、浄土宗開祖の法然房(1133~1212)のことと思うアナタ。実は、法然は仏教語で、「一切の事象がその本来あるがままの姿においてあることをいう(『仏教語大辞典』)」という意味。つまり、「レット・イット・ビー」なのだ。

 

 『徒然草』第39段に法然のこんな言葉が紹介されている。ある人が大切な念仏修行中に、「眠気が我慢できません!法然上人さま、どないしたら、ちゃんと修行できますでしょうか?」って尋ねたら、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ。」と答えられたという。「いつでもええで~。やれる時にやったらええで~。」

 

 幸か不幸か、受験勉強を経験せずに大学まで行けて、卒業後、日本語教師を目指して、再び大学文学部に入ろうとした私は、受験勉強に苦しんだ。こんな勉強して何の意味があるの。勉強しても、合格の保証がないなら、落ちても実のあることをしようと、とりあえず古典を一冊読んでみることにした。幸い我が家には親父が道楽で買った新品同様の日本古典文学大系がまるまるあった。その中から読みやすそうということで選んだのが徒然草だった。文法も語彙も分からなくても、とにかく最後まで読み切ること。そう心に決めて、読み始めた。その時、法然のこの言葉に救われた気持ちがした。

 

 この法然さん、徳の高いお坊さんに贈られる大師(だいし)の尊号を、没後480年の1697年に東山天皇から贈られた。その時の名が円光(えんこう)大師。その20年後、没後500年に東漸(とうぜん)大師の名が贈られて以来、現在まで、50年毎に名前が贈られ、慧成(えじょう)大師、弘覚(こうかく)大師、慈教(じきょう)大師、明照(めいしょう)大師、和順(わじゅん)大師と名前があるという。一番新しいのが、2011年の800回忌に今上天皇から頂いた法爾(ほうに)大師で、全部で八つもあるそうだ。

 

 こんなに大師号をもらっても、大師と言えば、世間では何といっても弘法大師が有名だ。そんなことを表す諺(ことわざ)があるという。

 

 「大師は弘法に奪われ、太閤(たいこう)は秀吉に奪わる。」 

 

 太閤とは、「摂政や太政大臣の敬称、また関白を辞してその位を子に譲ったものの称号、さらに関白を辞してのち内覧の宣旨をこうむったものを太閤と称することもある。(『国史大辞典』)」を言う。歴史上、大師号を贈られた僧も、太閤と呼ばれた人も数多くいるし、そもそも特定の個人を表す名前ではなかった。それなのに、空海や秀吉があまりにも有名になりすぎて、固有名詞として使われてしまっていることをいう諺だそうだ。

 

 頑張っても、法爾大師は弘法大師には勝てないのだ。ところで、法爾も仏教語。「真理にのっとって本来あるがままであること。あるがままの姿。自然(じねん)。法然。」〔『デジタル大辞泉』〕弘法に勝とうが、負けようが、関係ない!レット・イット・ビーなのだ。


閲覧数183 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2017/09/08 23:33
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