「戦争の原因と防止策をさぐる」川村氏の講演を聞きました。
日中戦争から日米戦に至る歴史をたどりながら、歴史認識を考えるという講演だったと思います。
日本の中国侵略に対して、アメリカは日本を外交的に孤立させ、さらに貿易制限など経済制裁を加えるという構図で、その果てに日本の真珠湾攻撃をもたらしたというものであるが、聞いていて今の北朝鮮に対する経済封鎖を連想しないわけにはいかなかった。
しかし、真珠湾に至る前には、緊張関係にあっても日米は50回の外交交渉を行ってきたという。知らなかったことである。(今の米朝は水面下では解決に向けて交渉をしているのだろうか。)
当時の多くの識者は日米戦は敗戦必至、戦争は回避しなければならないと思っていたというが、だからこそ、粘り強く交渉したのだろうと思う。
にもかかわらず、なぜ、アメリカとの無謀な戦争に突入したのかである。交渉相手であるアメリカ側にも、欧州ではドイツと戦うイギリスからの参戦要請があり、国民のえん戦気分を払拭して参戦するために、日本の暴発を期待したのかもしれないとの説もあったがはっきりしたことはわからない。
日本では、金融恐慌後の不況と経済の停滞、農村の窮乏化で、国民の視線を中国東北部の満蒙(満州国)へと向けさせ、そこで利害が衝突するアメリやイギリスに対して我が国の権益を脅かす鬼畜米英と戦意高揚をあおる無責任な論調に国民の多くが乗せられたのかもしれない。
戦争では、国民の好戦的熱狂が演出される。北朝鮮のテレビ放送をみると、対米戦の戦意高揚気分をあおる無責任を感じるが、その先制攻撃ミサイルの矛先は、ハワイの真珠湾ではなく横須賀や佐世保に向けられているかもしれない。
1941年真珠湾との違いは、そのミサイル戦争の結果は、地球規模の災禍となることが確実で、人類存立の基盤が崩壊することである。核戦争後も放射性物質によって、東北アジア地域は人が住めない地域になるかもしれない。だから、核兵器は使ってはいけない兵器であり、核兵器の違法を宣言した核兵器禁止条約の意義は大きなものがあるものと思う。
残虐兵器を禁止した国際条約には、毒ガス禁止を規定した化学兵器禁止条約や細菌兵器禁止を規定した生物兵器禁止条約などがあり、日本は参加している。にもかかわらず、唯一の被爆国である日本が、核兵器禁止条約になぜ参加しようとしないのか、本当に残念なことです。
寅さんのおっしゃる通りです。