加齢と体感時間の変化 分数+ルートへ修正:私見です。
下記の過去日記では年齢を重ねるごとに一年が早くすぎるように感じる理由は高校の時の国語の先生から聞いた話に私なりの考えを加えた結論は分数です。つまり、5才の幼児の一年は誕生から見れば1/5にあたる。 同じように50才の1年は1/50にすぎない。短く感じるわけである。私の年令60才でいえば、今年の1年は過去の1/60なのでアッという間でした。今考えてみると極論過ぎたようです。そこで加齢と体感時間の変化を分数+ルートへ修正します。
64歳の方の次の一年はこれまでの分数であればそれまでの生涯の1/64ですがどう考えても速すぎると思います。分数の分母をルートに変えればルート64の値は8なので1/8になり次の一年はそれまでの生涯の1/8ということになりこれなら実感に近くなったと思います。
・(筑後地域SNS) 3988 日記 加齢と体感時間の変化・・・・ヒントは分数 2009-12-23(水) 18:44:30
年齢を重ねる毎に、一年が早くすぎる実感が増します。以前書いた文章を思い出して探し出しました。不完全コピペですが元文は自作です。
有る程度の年令になると、一年の時間が以前より短く感じられるようになり、それが年々短くなるように思うようになる。特に老年期になるとあっという間に次の正月が来ます。まさに、『正月は冥土の旅の一里塚、ありがたくもあり、ありがたくも無し』である。 さて、本題に戻ります。
先日、タレントのタモリ氏がテレビで言っていた説は人は年を取ると、一定の作業をするのに、若い時より時間が掛かるようになる。逆に言えば時間を短く感じるようになる。
登山で標高が上がるにつれて同じような現象が起きるそうです。もっともらしい意見であるがこれは間違いだと思っています。知的作業は年齢差より個人差の方が大きいので青年期以降には当てはまるかも知れないが幼少期から青年期には×だと思います。
正解は分数だと思います。高校の時の国語の先生から聞いた話に私なりの考えを加えた結論は分数です。つまり、5才の幼児の一年は誕生から見れば1/5にあたる。同じように50才の1年は1/50にすぎない。短く感じるわけです。
この説でいけば年々1年が短く感じられるようになるのも納得できると思うのだが、いかがでしょうか?。これはあるサイトの管理人(私)の勝手な私見です。
追記:最近気付いた事だが、加齢に伴い、節目(色んな記念日・家族の誕生日・親族・知人の命日・・・。)
しかも、家族・親族・親しい知人に不幸が有った場合、葬礼の慌ただしさと共に、1週間毎に7回の仏事・月命日・初盆・一年目を一周忌または一回忌、満二年目を三回忌、以下、七・十三・十七・二十三・二十七・三十三・五十・百の各回忌に法事が行われる。(仏教の場合だが宗派・地域の風習・個人の意識にに依って異なる。)
律儀に仏事を行えば親族の多い人の場合、毎年のように何かある事になる。現役を退いた人の場合、特に仕事の雑務から解放されているため、その比重が大きくなり、対象も年単位となるため、体感時間の変化には影響が大きいと推測される。
私の場合、昨年母の50回忌、今年には父の33回忌を迎た。好きなスポーツのシーズン制も要因となるだろう。特に大相撲の場合、2ヶ月おきに本場所が開催されるので1年なんかあっと、云う間だろう。
私はF1をTV見物するので、3,4月から10月頃までに18回ほぼ2週間に1回、時には、2週連続だから、たまらない。しかも金曜予選・土曜日予選・日曜日決勝
同じように50才の1年は1/50にすぎない。短く感じるわけである。私の年令60才でいえば、今年の1年は過去の1/60なのでアッという間でした。
・追記の追記 現在週に2度の訪問介護と2週に1度の訪問診療それに子供と孫それに長男の嫁さんの誕生日の祝を続けているので毎月のようにお祝い事が有ります。神奈川在住の長男の家族とはスカイプビデオ通話で・・・
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