最高裁判事の審査公報は判決に関与しない公平な第三者が全件を単純に事務処理したもっと見やすい一覧表にできないものなのか。 仕方なく読んでみるが、いつもながら関与した裁判の説明は㈠ひとつの文が長い㈡結論は最後まで読まないとわからない。 こういった日本語の悪い特徴と判決主文の書き手による分かりにくい公報をいつまで続けるのか。 面倒なのでまず文末の括弧内だけ見てゆくことにすると、今回の場合はいずれも(全員一致)か(多数意見)だった。 これでは判らない。最高裁まで上がるくらいの判例なら全員一致がもっと少なくて少数側のコメントがあってもよいと思うのだが。 おそらく事例は恣意的に選べるのだろう。そう考えると読むのもなんだか馬鹿らしい。 罷免材料も信任材料も見当たらず、結局全員信任で投票した。議員を選ぶような積極的な気分はなくどうも場にそぐわない。 審査と選挙そして司法と立法など方式も主旨も異なるものを同時に行うことは憲法を改正してでも改めるべきではないか。 |