後半の政界の美男・美女コンテストは別として、3か月以上も政府がない状態でもこれと言って話題となるような大きな事件などなく国が回っているというのも素晴らしい(? 政府なんか要らない?)、ドイツ万歳!!!
日本だったら反阿部の先鋒朝日新聞など書くことが無くなって廃刊に追い込まれてしまうのでは・・・?
今日は政治の話といってもぐっとくだけた話題なのだけど、その前にまたちょっとだけドイツの今の政界について説明しておかねばならない。(めんどくさいなら前半は飛ばして下さい。) 昨年9月24日の総選挙の結果が非常にやっかいなもので、そのことは与党第一党のキリスト教民主同盟(CDU)もある程度予想していたため、さっそく昔の連立仲間である自由民主党(FDP)と、これはCDUには新規だが昔社会民主党(SPD)と連立政権を構成していた「緑の党(以下緑)」とで、三党連立構想の実現にとりかかった。 ところが「この方向でいかがでしょうか?」的な、ドイツ語でゾンディールング(Sondierung)と呼ばれる最初のプロセスで、メルケルが得票数はFDPより少なかった緑に優しくすり寄り、彼らの要求に「OK, おっかさんに任しとき」みたいな対応をし続けたので、FDP党首のクリスチャン・リントナーはとうとう切れてしまい、「連立やめた!」と降りてしまった。 そのおかげで連立の話合いは振り出しに戻り、ドイツは未だに無政府状態である。 メディアは最初メチャメチャにリントナーを叩いて、彼は国よりも政党を優先した、と口を極めてののしり、一般市民の一部もそれに影響されてリントナー率いるFDPの支持率は一時かなり落ちた。 しかし連立の話合いの過程を聞くと、これは明らかにメルケルのへまで、もし本当に組閣を急ぐなら彼女の得意芸の玉虫色の合意で決定までもっていき、そのあとで好きなだけ「緑」のエコ贔屓をすればよかったのだ。 FDPは2013年の選挙で得票が5%を切り、国会の議席を失って4年間冷や飯食いだった。それがやっとカムバックしたので、少々無礼な扱いをしても組閣に協力するだろう、大臣職と運転手付き公用車がほしいはずだ、と甘く見ていたメルケルの大失敗である。 それで仕切り直しとなり、大統領の力も借りてようやくSPDとの話し合いに漕ぎつげた。 秋の選挙でSPDはCDUほどではないが支持率をかなり減らし、それは連立相手だったCDUのせいとして、結果の発表と同時に「今回は私らのことは忘れてください」と宣言していた。 しかし、緑とFDPの連立がぽしゃり、危険極まりない少数与党政権はご免、ということになると、CDUにはSPDとの「大連立」しか道はない。大連立たって合わせてやっと50%ちょっとだから何が「大」だか。 2005年からのCDU/SPDの最初の連立は併せて3分の2くらいの支持はあったので「大」と言えたが、こうも票が割れると普通の連立である。 ともかくCDUとしては、まあ、そうおっしゃらずにまた仲良くやりましょうよ、と接近して行ったわけだが、実はSPDもそれをすげなく断れない事情がある。 2015年秋から右派(メディアは極右と呼ぶ)の「ドイツのための選択肢」(AfD)党がどんどん票を伸ばし、9月の選挙ではCDUとSPDに次ぐ第三党となった。 CDUは自分たちを非難し酷評してその票を食ったAfDとだけは絶対に組みたくない。主張が180度違うSPDにしてもそれは同じだ。 ところが10月以降の連立のもたつきや各党のいがみ合いがAfDに有利に作用して、こちらは順調に支持を伸ばしている。 もしどの党との連立も不可能となると再選挙しかないが、その結果はさらにAfDに有利と言われる。そしてまたぞろ同じ話し合いを続けなければならず、再選挙の意味は全くないのである。 そのあたりはSPDも敢えて口にせず、「まあ、そこまで言うなら話し合いのテーブルに着きましょうか、大統領もああおっしゃっていることだし」と不承不承の振りをして、ようやく正月明けにまたゾンディールングとやらが始まった。 このゾンディールングというドイツ語は殆どの日本人に馴染みがないと思うが、「ゾンデ」という言葉なら聞いたことがあるだろう。これは気象観測や宇宙探査に使われる「探針」のことで、ゾンディールングというのは針をあちらこちらに振って、あ、ここはどうかな、いや、こちらがいいかな、と探りを入れることを言う(らしい)。 さてCDUとSPDのそのゾンディールングも昨夜で終わり、党首は口裏を合わせて「建設的な話合いができた」「ポジティブだった」と言っているが、国民の方はしっかり眉に唾つけて聞いている。 終わったのは「腹の探り合い」で、まともな話合いではない。本当に連立を組むかどうかは、SPDによれば今月下旬の党大会で党員の意向を聞いて決めるという。 それで連立交渉がゴーになったとしても、選挙から4か月を経ての話だ。 国民は政府がなくても別に困らないといい、ベルギーは数年前に500日以上政権が存在しない時期があったが、そのときがベルギー人にとっては最良の日々だったそうだ、などと笑っている。 しかし政権が決まらないということは、ジャーナリストの多くにとって、また国民にとっても、攻撃の材料がなくて、退屈この上ない状況である。 それで退屈しのぎに何を始めたかというと。 政界の美男・美女コンテストである。 私は昨日、自宅で購読している地方新聞の第一面に「ドイツで最も魅力的な政治家は?」という見出しを見て目が点になった。普通この地方新聞は読まないのだが(ドイツ語の能力もあり全国紙だけで精いっぱいなのだ)、この見出しに惹かれて読んでみた。 記事は「鏡よ鏡、この国で一番美しいのはだあれ?」という有名な白雪姫の継母のセリフで始まる。そして「鏡はこの問いに答えてくれませんが、ドイツで一番魅力的な政治家なら大々的な調査で答えが出ています」とある。結果は・・・ 第一位、リンケ(左翼党)のザーラ・ヴァ―ゲンクネヒト。第二位(へえ~)がFDPのクリスチャン・リントナー。第三位はAfDのアリーチェ・ヴァイデル。 一位と三位の女性については、昨秋9月23日、総選挙の前日のブログでたまたま写真を添付したので、どうぞそちらをとくとご覧ください。 二位のリントナーが若い人から「クール」と言われていることには言及したが、写真は載せなかったので、今回下に添付します。 このニュース、さすがに「高級紙」と呼ばれるレベルの高い新聞では取り上げられなかったもののネットでしっかり流れた。一般国民には話題性抜群である。 これには「ドイツも変わったなあ」と実感せずにはいられなかった。ドイツ人はこれまで外見をあれこれ言うことはほとんどない国民だった。私などから見てものすごい美人と思う著名人でもその容貌に触れた記事は稀で、この点では私はドイツ人を評価していた。とても立派だと尊敬していたと言ってもよい。 それが今やアメリカのミーちゃんハーちゃんとちっとも変わらなくなった。これもグローバル化の賜物か。 ドイツ人の間で、政治家やスポーツ選手や作家の外見を貶したり褒めたりということに逡巡がなくなったことに、私は戸惑いを感じている。 先日夫やその友人たちがフランス大統領のことを「マクロンヒェンが」というので、んまあ、と思った。 「○○ヒェン」というのは小さい○○ちゃん、という意味である。愛称でもあって、カーラのご主人は妻をカーラヒェンと呼ぶ。カーラはえらく太っていて小さくも可愛くもないが「美は見る人の目にあり」で夫から見ると愛らしいのであろう。 マクロンの身長は170センチくらいで、ドイツ人から見るとえらくチビなので、マクロンヒェンになったのだそうだ。こんな悪口っていやだなあ。本人に責任がないことをあれこれ言うのは、私嫌い。 マクロンはチビであるばかりでなく、欧州では全く魅力のない外見らしい。因みに世界最年少の首相としてデビュー(?)したオーストリアのセバスチャン・クルツも、日本では美青年と評判らしいがこちらではその容貌は話題にならない。 で、クリスチャン・リントナーの方は日本人から見ていかがでしょうか。 |