郵便物の配送法が気になる理由。-01
先日、子供の一人からなんで郵便物の配送法が気になるの?? と尋ねられました。 連れ合いは理由が分かっていると思っていたのに・・・違っていました!!。
郵便物の配送法が気になる理由は物心ついた頃1950年代以降の郵便物の配送法の移り変わりを単なる知識としてではなく実際の現場を知っているからです。
物心ついた頃の記憶なんて??と言われそうですが父の仕事の一つが夜間電報の配達請負業務で同じ年頃の子供と遊ぶ以外は地元の郵便局の職員休憩室が遊び場でした。
その頃、田舎は道路が未舗装で車はバスかお医者さんの車くらいで物流は殆ど当時の国鉄の列車が担っていて。各駅には荷物の仮置き場や日通の関連会社の倉庫が有りました。
郵便物も例外ではなく客車や貨物列車に連結された専用の郵便車(逓送車)で運ばれていました。郵便車には郵便仕分けの担当者が2名以上乗務していました。
朝は7時前に下り(地元駅は久大本線の筑後草野駅で久留米駅から大分駅行きが下りです)郵便列車が到着して夕方は18時前に上りの郵便列車が到着して短時間で地元の郵便集配局から運んだ郵便物と地元の郵便集配局宛の郵便物(小包、為替を含む)が入った鍵付きの郵袋を交換していました。これを”逓送業務”と言い地元の郵便局では夕方の上り逓送業務は当番の配達局員、朝の下り逓送業務は請負業務で大工だった義兄が請け負って朝のアルバイト??で業務請負をしていました。
その義兄が大工仲間と組んで大阪へ出稼ぎに行くことになり、我が家で代行することになり、中学生になった頃には年末の郵便物が増える時期や父親が二日酔いのときなど手伝わされていました。
郵便局でアルバイトが出来る高校生の頃には年末年始だけではなく配達局員の急な休暇などで連絡が有れば学校を休んだり、早退をしてアルバイトしていました。その時は夕方の上り逓送業務模することが有り、朝夕、上り下りの逓送業務を一人で担当したことも有ります。
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