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2018年02月15日(木) 
 ハイテク企業やベンチャー企業が集中的に立地するシリコンバレーは、世界でも有数の「富める地域」であったが、1980年代後半から産業の空洞化が深刻になり始め、1970年代から80年代前半までの間、全米平均の3倍以上もあった地域内雇用が、80年代後半から90年代には、逆に3分の1以下に落ち込んだ(図1参照)。地域経済は停滞し、企業や優秀な人材の流出がとまらず(図2参照)、投資も減少を続けて(1) 、非難の文化(後出)が拡大した。シリコンバレーを世界随一のハイテク都市群に育ててきた、地元有力企業のトップや自治体、大学のリーダーたちは、この事態をシリコンバレー存続の危機と受け止めた。

 アプライド・マテリアルズ社の会長兼社長のジム・モーガンとシリコン・グラフィックス社の会長兼社長であるエド・マクラッケンは、ビジネス、コミュニティ、及び政府のリーダーを集めてチームを結成し、起業家が集まるシリコンバレーを、起業家たちが持つ世界的な能力を活用して、教育、規制、産業面で地域が抱える差し迫った課題を解決する地域に変身させようというものであった。

 彼らは、シリコンバレーに生きづく「3つのポリシー」の利用と、変革の協働作業のために市民参加型のプロセスに関する「5原則」を定めた。3つのポリシーとは、①オープンネス(常に開かれた意識の下、新しい関係作りを目指す)、②フェアネス(企業の大小や社会的地位などに関わらず、常に対等な立場で議論する)、③パートナーシップ(常に「連携」することを目指して、信頼の上に相互の関係を深める努力をする)、という基本的なコミュニケーションの姿勢である。

 また、5原則とは、
① 十分に時間をかける
協働作業に弾みをつけるために十分な時間をかける。協働作業には紆余曲折がつきもので、前進するためにはこの課題に対して、あるときは許容して協調し、あるときには先導しながら協力するという柔軟な対応が必要とされた。

② トップダウンとボトムアップのバランスを保つ
地域のリーダーたちがリーダーシップを取って行うトップダウンと、協働作業に携わる草の根の市民との相互作用を活性化させた。
③ 大きなビジョンを持ちと実現可能なアクションを実行する
障害となる古い規範を打破するためには、大きな夢を抱くことが必要だが、しかし直ちに成果を生むものではないので、実現可能な一歩を応援しステップバイステップで実行することを奨めた。

④ インターネットの活用とサロンの役割
常にアイデアと人々を結びつけるためさまざまな道具を試し、インターネットなどを使って新しいパートナーシップを拡大していくことが大きな効果を発揮した。シリコンバレーにはさまざまな形で、市民起業家らが集う「サロン」があり、これがいわば「ひらめきの場」としての役割を果した。「サロン」は内向きに閉じてしまうことが多いが、シリコンバレーでは常に外に対してオープンであることが重要と考えていた。

⑤ 測定可能な評価と責任を明確に
測定可能な評価と責任を明確にする。発展的な参加型のプロセスにおいては、次第に参加者間で信頼感が醸成されるが、しかし信頼感が深まれば深まるほど、その成果への評価はあいまいになる。常に、節目節目で効果測定がなされ、達成度に関して参加者全員が共通の認識を持たなくてはならない。事前に責任を果すための情報開示が重要である。

 ジョイントベンチャーは、この3つポリシーと5原則のもと、プロジェクト全体を3つのフェーズに分けて、これまでにはなかったまったく新しい取り組みを実施することとなる。このチームの創設がのちにシリコンバレーに再活性化と持続可能な発展をもたらすジョイントベンチャー:シリコンバレーネットワーク(Joint Venture : Silicon Valley network、以下、JV:SVN)の母体となる。スタート時点でこのチームは、サンノゼ市長のスーザン・ハマー、カリフォルニア州上院議員のベッキー・モーガン、スタンフォード大学副学長のウィリアム・ミラーなどを加えたわずか数名であった(2)という。初期の段階では、主にウィリアム・ミラーの個人的な、しかし豊かな人脈(3)によって、このチームは構築されていった。

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(1) 加藤敏春は1992年から3年間、サンフランシスコ総領事館領事(経済担当)として在職中、シリコンバレーの復興に立ち会い、自著で「70年代、80年代において、年率平均7%の成長を見せていた雇用は、ほとんど増加をみせなくなり、逆に1986年から91年までの5年間で6万人の雇用が失われた。また1986年から91年の経済成長率は、わずか0.7%となり、企業収益、生産性とも大きく落ち込むことになった。(中略) 事実、シリコンバレーが再びダイナミックに発展を開始したのは、1992年以降、本来の経済、社会、文化構造に立ち戻り、世界的なイノベーションをリードし始めたときであった。」と述べている。
加藤敏春,1997,『シリコンバレー・ウェーブ 次世代情報都市社会の展望』,NTT出版, pp.12-13.

(2) ジム・モーガンは「われわれ二、三人で集まり計画を練った。しかし誰もそれを信じようとしなかった。」と回想している。Douglas HENTON ,John MELVILLE ,Kimberly WALESH,1997,"Grassroots Leaders for a New Economy: How Civic Entrepreneurs Are Building Prosperous Communities", Jossey-Bass; 1st edition, [加藤敏春訳,1997,『市民起業家―新しい経済コミュニティの構築』,日本経済評論社],1997,p143

(3) このときのコアメンバーの構成について、のちにミラー教授は「立場で動員をかけることなく、インフォーマルな関係にある信頼できる地域人に、少しずつ参加してもらうこととした」と語った。またこの手法が、「多くの議論よりミッションの実現」という雰囲気を作りだし、その後のJV:SVNの骨格づくりに貢献した」としている。(1997年11月6日、ホリディ・イン・サンノゼの講演にて)

『地域SNSによる地域情報化に関する研究』,2010,和崎宏

閲覧数232 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2018/02/15 15:46
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