ども。本題とはずれますが...
> さて、話は違うが、私はこのブログを日記代わりにしたり、記憶のメモにしたり、また、これが私自身には重要なのだが、「作文の練習」の場にしている。
自分は、普段考えないことを「考えてみた」ときにその過程をエントリするようにしてます。事実の記録は読み返さないと意味ないのですが、考えた過程の記録だとタイトル見返すくらいで、ああそう考えたことがあったなと蘇ってきます。
両隣、というのは東のオ―ストリアと西のフランスのことです。 こちらではまだ昨日にあたる3月12日はオーストリアがドイツに併合された日で、これをドイツ語でAnschulussと呼び、日本語でもそのままアンシュルスという言葉が使われることが多い。 テレビや新聞がそのことを取り上げているので、3月12日は毎年あるのにこれまで話題にならなかったのはなぜ?と報道を読んで、今年がそのアンシュルスから80年目であることを知った。 1938年、かのヒットラー政権によって実施された独・墺の併合。これについて戦後オーストリアは自国民の意思に反して強行されたと主張し、自分たちは犠牲者みたいなことを言い続けているけど、これはおかしい。断然おかしい。 確かに反対してオーストリアの独立を護ろうとした人たちも一部いたが、実際にはこの統合は歓声を持って迎えられた。当時の国際情勢と小国オーストリアの国情からして、寄らば大樹の陰を選んだ人が多かったのは驚くに当たらない。 そしてそういう人々を裏切り者と呼ぶことも正しくない。過ぎてしまえば何とでもいえることで、ドイツ敗戦のあとでは「私は反対でした」と大半のオーストリア人がいうのも、人情として理解できなくはない。 しかしヒットラーはオーストリア人であったし、当時の国民の大部分が統合を望んだ以上、今になってドイツの犠牲者面をするのは卑怯というものである。 とはいえオーストリアを犠牲者とすることは、ある種のビジネス、文芸や娯楽では非常に重要で、例えば映画「サウンドオブミュージック」。この中でジュリー・アンドリュース扮する尼僧見習いのマリアと結婚するトラップ大佐は海軍所属ということになっている。 海のないオ―ストリアで海軍というのが笑ってしまうが、実際は併合前から独・墺の軍は協力していて、ドイツ北方の北海に面した軍港ヴィルヘルムスハーフェンにはオーストリア人の兵士・軍人もいたはずだ。 映画では、新婚旅行から帰ってきたマリアとトラップ大佐のもとに、独・墺併合を受けてそのヴィルヘルムスハーフェンに赴任せよというナチ政権からの命令が来る。それに従うことを潔しとしない大佐が一家を引き連れてアルプスを越え、自由を求めてスイスへ(最終的にはアメリカへ)逃れるところで映画は終わる。 マリアとトラップ大佐は実在の人物で(実際の位は大佐ではなかったものの男爵というのは事実らしい)、サウンドオブミュージックは実話に基づくということになっているが、実際とは異なる部分がかなりあり、特に大佐がナチ政権に抵抗してオーストリアを脱出したというのは真っ赤な嘘である。 このことは、サウンドオブミュージックよりも前に西ドイツが制作した「トラップ・ファミリー合唱団物語(日本語の題は<菩提樹>)」に明らかなとおり、新婚旅行から帰ってきた二人を待ち受けていたのはトラップ家の全財産を預けてある銀行が倒産したというニュースで、一家はあっという間に文無しになってしまったのだった。 私はこの〈菩提樹〉を小学生の頃に父に連れられて見に行って、映画の中の音楽がいいこともありかなり気に入ったが、それは父親も同様らしかった。 ただし、この<菩提樹>は舞台をオーストリアにした最初の映画と、アメリカに舞台を移した続編があり、私が見たのはどうも続編らしいが、実はこちらではクリスマスのシーズンにこれらの古い映画が「小公子」や「秘密の花園」などとならんでテレビで放送されることが多いので、どちらもしっかり見ている。 さてそんなわけで決して勇敢な抵抗の士ではなかったゲオルグ・トラップ男爵、マリアの自伝によると常に温和で良き夫・良き父親だったという。 とはいうものの、それではドラマになりにくい。尾羽打ち枯らして無一文でアメリカに渡る、というのでは、サウンドオブミュージックのあの壮大なアルプスの自然にはどうもそぐわない。 アメリカ人というのは一般に派手好みでドラマチックな人生に憧れるし、なんでも黒白つけるのが好きだし、人間には善人と悪人の2種類しかいないと思っている人も多いので、そういう単純な民衆に受けるには、悪者ナチをしっかり利用してトラップ大佐を果敢な善人に仕立て上げる必要があったのだろう。 まあ、ハリウッド映画としてはなかなかよくできていると思いますけどね。 さて、話は違うが、私はこのブログを日記代わりにしたり、記憶のメモにしたり、また、これが私自身には重要なのだが、「作文の練習」の場にしている。日本語の本を読んで日本語力の低下を防ごうと(かなりむなしい)努力をしていることは、前回のブログで述べた通りである。 日記代わりといってもろれちゃんほどマメに日常を綴ることはしておらず、また自分の記憶・記録、ちょっと洒落て言うとメモワールのようなもの、といっても、実は自分の昔のブログをもう一度読むことはまずないので、記録する意味はあまりないのである。 だから「綴り方のお稽古」のため、というのが一番あたっている。 のであるが、10日ほど前に、昔撮って今手元に見当たらない写真をブログでアップしたことを思い出し、2015年、つまりかちねっとからひょこむに引っ越して来たころのブログを繰っていると、自分の探しているものとは別にその年の秋のエールフランスのストに関する記事があった。 シャルルドゴール空港の近くある航空会社に労組の連中が押しかけ、そこで人員削減を検討していた幹部を襲ったという事件についてで、題は「憧れのフランス」とある。 そのブログの写真を見てまた吹き出すと同時に、ああ、そんなこともあったなあ、程度の感想だった。 ところが昨日のフィガロ紙のネット版をちらと見てみると、どうも見覚えのある写真が掲載されている。 自分のブログで使った写真ではないが、そこに後ろ姿が写っているのはそのときにシャツを破られた取締役と裸で逃げ出した人事部長らしい。 フィガロ紙の記事のタイトルは「エールフランスでの『引きちぎられたシャツ』の控訴裁判」となっている。 面白そうなので印字して読んでみた。結論から言うと、2015年の10月5日にエールフランスの幹部に暴力を振るった労組のメンバーが後日訴えられ、翌年に彼らのうちの数人に有罪の判決が下った。労組はそれを不服として上告したものの、この月曜日の裁判でもやっぱり負けてしまった、という話。 有罪とされた三人は一審の判決通り3か月から4か月の禁固刑、ただし執行猶予付き、というものだった。 この事件は私のような者の注意さえも惹くほど大々的にメディアで取り上げられ、半裸の男の写真やビデオが世界中を駆け巡り、労組はそれを「自分たちを悪者に仕立てようとしたエールフランスの陰謀」として逆に裁判を起こしたという。 しかし幹部に暴力を振るってワイシャツをはぎ取ったのは事実だし、会社も陰謀でそこまで演出できるわけがないから、言いがかりとされても仕方がない。 面白いことに、労組はエールフランスが二つの警備会社を雇って「労使紛争に介入させた」ことを法律違反としているとのことで、その法律というのが19世紀にできたものという話には、これまた吹きだしてしまった。 裁判所はその主張を退け、警備会社を雇ったのはあくまでも雇用者側の人員の安全のためで、労組の邪魔をしたり抗争に介入したりするためではなかった、と結論付けたそうだ。 エールフランスの合理化計画は続いており、その後もストがしょっちゅう起きているが、次回の大々的なストは3月23日だそうなので、その時期にはエールフランスをお使いになるのは避けた方がよろしいですよ。 写真は「憧れのフランス」で既に使った2枚の写真と、昨日の新聞に掲載された写真。 シャツを引きちぎられた男と、半裸にされた男がとぼとぼと・・・ それを二人の人間がまったくの他人事として眺めているのも、いかにもフランスらしい。 |