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2018年04月06日(金) 
ドイツで暮らし始めて17年近く、ほぼ毎年のように、それも多いときは年に3度ほどアルザスに出かけており、ときにはロレーヌにも足を延ばす。

だからといってこの地域圏を知悉しているわけでもないが、大概の有名な町村は観光したことがあり、今回はまだ知らない地域に行ってみたいと思っていた。

それで、あらかじめ天気予報も調べて、月曜日のイースター・マンデー(休日)にアルザスの南のベルフォールへ行ってみようと提案した。

夫は最初「ベルフォールなんか、ただの工業都市じゃないか」と渋っており、そもそも彼の場合フランスという国は、いまだにドイツの面影を宿しているアルザス以外は嫌いなのである。

ロレーヌもかつてドイツ領だったのに、ここは工業が衰退して貧乏な上に労働組合がやたら攻撃的で非協力的、つまりすっかり「フランス化」してしまい、経済悪循環の見本で気に入らない。(だってウチの亭主は企業主だから。)おまけに汚い、だらしない。

それでネットで周辺を見てみて、アルザス地域圏のすぐ外にあるベルフォールという町が古い要塞で有名なことを知り、時間もホテルから1時間15分と遠くないことから、ぜひ行ってみたいと主張した。

途中でずっとブツクサ言い続け、町の郊外で味気ない高層マンション群が目前に広がったとき「行きたいって言ったのはそっちだからな」と嫌味を忘れなかった夫であるが、旧市街に入って駐車場から要塞を見たとたん、態度がコロっと変わった。

そもそも、ベルフォールという地名はフランス語で「美しい要塞」を意味する。

美の基準は人それぞれだけれど、ここの要塞(一般にはシタデル<城塞>とも呼ばれる)は確かに一見の価値ある威容と古色を誇っている。

私は敢えて予備知識なしに来たのだが、そこはさすがに77年余りドイツ人をやっているだけあって夫は立て札や説明書きにある関係者の名前を知っていた。

この町は今ではブルゴーニュ・フランシュ・コムテ地域圏に属し、これまで本格的にドイツ領だった歴史がないため、何もかもフランス語で書かれている点がアルザスなどとの大きな違いだが、ドイツやスイスに近いフランス東部であるためかその文化はドイツ人にも違和感がないらしい。

まずこの要塞を築いたヴォ―ハンという人物、彼は17世紀後半に活躍した軍人で辣腕の将校であると同時に優れた建築家でもあって、特に築城術に長けていた。

国は違い時代にも200年ほど差があるが、太田道灌を連想させる人物である。

フランス各地に150もの城塞を築き、ということはその特色、強み・弱点、死角やいわゆるアキレス腱を知り尽くしているため、攻城の名手でもあったという。

そして。このヴォ―ハン、決して日本と無縁ではないのですね。ヴォ―ハン式要塞は星形要塞とも呼ばれ、ということは函館五稜郭もその様式を踏まえて築かれたものなのだ。

あ、ついでに、ベルフォール出身のジュール・ブリュネという人物は軍事顧問としてちょうど明治維新の時期に来日し、日本の近代化に大いに貢献したそうな。映画「ラスト・サムライ」のモデルはこの人と言われています。

ベルフォール城砦または要塞は規模が非常に大きく、しかも攻防のためにおそろしく堅固・頑丈で複雑な作りになっているので、階段を昇ったり降りたり、トンネルをくぐったり、一人で歩いたらすぐに迷子になりそう。

しかし何と言ってもこの城砦の最大の名物はライオンである。

これは細工しやすい砂岩で作られ、今も要塞の壁にぴたりとくっついて横たわり、大きな口を開けて見学者を威嚇している。

高さは11メートルと日本の鎌倉の大仏とほぼ同じだが、幅は22メートルだから全体はずっと大きい。

そして1880年にこのライオンを完成させた彫刻家は誰あろう、アルザスはコルマール出身のバルトルディなのである。

バルトルディなんて名前聞いたことないって?いや実は私も日本にいる間は知らなかったのです。

でも名前は知らずとも、彼の作品はほとんどの日本人が知っていますよ。この人がニューヨーク港にあるかの有名な「自由の女神」を設計して制作し、そしてそれがフランスからアメリカに寄贈されたんですね。

その女神がフランスからのプレゼントということは一般の日本人なみに私も知ってはいたけれど、作者がアルザスの人だというのはこちらに来て初めて知りました。へええ~です。

だけどそれも日本人なら無理はないでしょ。驚いたのは、アメリカ人のほとんどがその歴史に無知であること。あるとき数人のアメリカ人を案内してアルザスにやって来ると、コルマールのロータリーに立っている自由の女神像を見て、彼らが大笑いするんです。

こんな所に変な自由の女神なんか立てて、アメリカの真似して!と嘲笑する。

嘲りたいのはこっちだよ!あんたの国の女神さまはここで生まれて海を越えてニューヨークに運ばれたんだよ。アメリカ人ならそれくらいのことは知っておけ、この無教養のオタンコナス、と心中罵ってやりました。

さて、この城塞は必ずしも栄光の歴史で彩られているわけではなく、ドイツとの戦争においてはその威力は全く発揮されなかったのでした。

ときは1870年、フランスとプロイセン王国(後のドイツ帝国)との間に勃発したいわゆる普仏戦争は、10カ月足らずでフランスの惨敗に終わります。そう、鉄血宰相ビスマルクの時代ですね。

ということは、バルトルディがこのライオンを彫った時、アルザスはドイツ領だったわけだ。

私が面白いと思ったのは、バルトルディがその名前から分かるようにフランス人でもドイツ人でもなく北イタリア人を祖先に持つということ。

先祖はイタリア人で、フランスに生まれドイツ〔領〕で逝去。その生涯の大傑作は今アメリカにある。これぞまことの「国際人」ではありませんか。

写真1.ベルフォール城塞(の一部)
写真2.石のアーケード
写真3.要塞を守るライオン

閲覧数267 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2018/04/06 01:07
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2018/04/06 15:17
    zosanさん
    どんなお城があったのでしょう・・・、城跡からは全く想像もつきません。
    次項有
  • 2018/04/06 15:38
    鉛筆ベッガさん
    > zosanさん
    お城というか、もっぱら軍事用の砦なので、ライオンの後ろに見られるような管理施設や官衙のような建物はありますが、優雅に暮らせるような居住空間はありません。

    兵士が待機している場所も地下や隠れた場所です。ドイツ語でいうと「ブルク」なのですが、例えばコブレンツにあってラインとモーゼルの合流点を見下ろすブルク(写真)とはだいぶ趣きが違います。

    コブレンツの方は中に宮殿っぽい建物もあり、菜園や畜舎までありました。

    因みに、このコブレンツの城も普仏戦争で使われ、フランスに勝っています。
    次項有
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