さてアレッポを出た私たちはその東方にある小さな町の病院を訪ねたあとユーフラテス川沿いに進んだが、病院に行ったのは仕事のためばかりではなかった。 実は私はアレッポで食べたカバブがあたって猛烈な腹痛に襲われ、前夜は一晩中ほとんど手洗いから出られない有様だった。 翌朝痛みはかなり治まったものの、心配なので念のために営業で立ち寄った病院で診察してもらうことにしたのである。 簡単に話を聞いた医師は注射してそれでおしまいだったが、今思うとあまり清潔とはいえない病院で注射なんかしてよくB型・C型肝炎のウィルスをもらわなかったものだと思う。 しかしそれで症状はほとんど消え、安心して東南に車を走らせた。 途中から見え始めた川がユーフラテスということに最初気がつかなかったのは、これがアラビア語でアル・フラートと呼ばれるためで、「アル」というのは冠詞だからザ・フラートということになる。 その晩だったか翌晩だかには、デリゾールという町で宿泊した。 地図にはDeir Az Zorとあり、これを綴りの通りに読むとデイル・アズ・ゾルだが、一気に発音するとデリゾールとなる。 この町はユーフラテスに架かる橋で有名らしく、夕食後に散策をかねて見に行きそこで下の写真を撮った。 この橋もインターネットで見つけたが、いやに植生豊かな風景になっている。水が十分あるから他の都市に比べて樹木は茂っていたものの、これほどではなかった。 デリゾールそのものは橋以外に見るべき所はなく、私が貴重な経験をしたのは翌日町の郊外に住むA氏の知り合いに招待されたときである。 その一家とどういう関係があったのか、普通の町民・村民とは思えなかったので未だに不思議なのだが、日本人女性を連れているということで是非昼食に、と誘われたのだった。 行ってみると家というよりテントのような住まいでの暮らしで、これはシリアのベドウィンではないかという印象だった。子供たち3,4人が珍しそうに私を見るのは無理もない。 向こうの方をロバに乗った少年が通り過ぎる。 食事は柱の上に薄い布をかけた「前庭」で、つまり半屋外。そこで筵のような敷物の上に紅茶と食物が並べられる。 アルコールが禁忌のイスラム教徒は朝から晩まで紅茶ばかり飲んでいる。まず砂糖の塊を口に含んでから紅茶を飲む。これがなかなかいける。 一つにはこれはシリアの水が抜群においしいからだ。シリアに限らずイランで飲む紅茶の味もいいが、その理由は砂漠の砂が地下水のフィルターの役割を果たしているからだろう。 ただこういう乾燥した地域では食器洗いの水などほとんどなかろうと、手にしたコップの衛生が気になった。まあ、こんな所で清潔な食器を期待する方が間違っていることは分かっているが。 さて、敷物の真ん中に置かれた大皿をみて、きれいとか汚いとかの懸念はぶっとんでしまった。 皿に盛られているのはヨーグルトで炊いたご飯でこれは話に聞いていたが、上に羊の肉片とそして羊の頭が乗っかっているのである。 羊の頭は最高のご馳走で、正客はその目玉を食べなければならないという。正客はこの私! しかし私の恐怖の表情を見たA氏が目玉を食べる任務を引き受けてくれ、これには救われたが、この種の料理はフォークや匙ではなしに手で食べなければならず、それがまた大変な苦労だった。 考えてみれば、私たち日本人だって尾頭付きの魚をご馳走として食べる。またブリやマグロの「かま」をほじくって鰓の下の肉を喜んで食するではないか。 魚というものを滅多に食べないシリアの村人がそれを見たら、私に負けない恐怖の色をその顔に浮かべるであろう。 食事を終えて立ちあがるときにふと見ると、筵の上にはノミが跳ねている。 まあいいや、ノミだって子供の頃にはよく見たものだし。50年代の日本も相当「未開」だったのに、何百年もの昔から先進国であるかのように振る舞うのは笑止千万だ。 こういう状況では鷹揚というかいい加減というか、とにかく否応なしに「発想の転換」が起きる。 というわけで、思い出深いデリゾール近郊でありました。 |