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2018年05月27日(日) 

5月21日に大和郡山市内を歩いた史跡巡りハイキングの記録です。

郡山城を見たあと、城内の西端にある公園で弁当を食べ、お城から南→東→北へと反時計回りに市内を散策しました。

 

最初に行ったのは、お城のすぐ南にある永慶寺です。

このお寺は、郡山城の最後の城主となった柳沢氏の菩提寺で、黄檗宗の寺に相応しく「竜宮造」の楼門がありました。可愛らしい門です。

 

永慶寺から真っ直ぐ南へ行ったところにカトリック教会があり、「切支丹流配碑」と掘られた碑が立っていました。こんなところにキリシタンの史跡があるとは思ってもみなかったから、少なからず驚きました。

 

 

教会から少し西へ行ったところに「荒木又右衛門屋敷跡」がありました。これも《こんなところに・・・》という驚きでした。

 

 

次に行ったところは「大納言塚」です。大納言とは豊臣秀長のことで、ここが彼の墓所とされています。

大和郡山の町をつくった人のお墓ですから、さすがによく管理されています。

 

大納言塚から少し南へ行くと市街地が切れ、水面が広がる地域になります。この水面は金魚を飼育する池で、地元では「金魚田」と呼ばれているようですが、風景はまさに金魚を育てる田んぼです。

大和郡山は「金魚の町」として知られていますが、商店街を歩いていてもそれを実感させてくれるものに出会いました。

 

 

再び市街地に入ると、古い町家が残る地区を通ります。昔「東岡町」という遊郭があったところで、そこから少し東へ行ったところにも「洞泉寺町」という遊郭の跡がありました。こんな小さな町に遊郭が2ヶ所もあったというのは驚きです。

東岡町では建物のほとんどが廃屋になっていましたが、洞泉寺町に残る建物はどれも保存状態が良好でした。

  

 

最後に行ったのは「薬園(やくおん)八幡神社」です。

ここでは、ボランティアガイドさんの取り計らいで本殿の前に上げてもらい、90歳になるという老宮司(女性)から説明を聞くことができました。

お話によると、ここは『東大寺の大仏建立に際して宇佐八幡宮から分祠した』という記述が續日本紀にあるという古い神社だそうです。

 

好天に恵まれたこの日の史跡巡りは、中世に始まり、近世→近代→古代へと、順不同に見て歩きましたが、いろいろな発見のある有意義なハイキングになりました。


閲覧数48 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2018/05/27 11:59
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