こんなひろい麦畑は県北の畑かしら。
こどものころは実家の近くでも狭い畑で秋~春は麦、夏はおかぼ(陸
稲)を作っていました。いまはマンションになっています。
ベンツのトラックで農作業したらかっこいいですね。
災害救援でこれを使ったら頼もしいわ。
童謡が好きな私はYoutubeで子供の頃から親しんだ歌を聞くことがあるが、そこのコメントなどによく「原風景」という言葉が出てくる。 「原」という漢字のせいか妙に物々しい感じがして、正確にはどういう意味なのと調べたら、「人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い」とあった。 原初、とあるからには、物心ついた頃からの古い記憶ということで、そして一般には童謡の背景に使われているような山河や田園、農家を連想しがちである。 しかし人間の育つ環境は千差万別だから、都会に生まれ育った人には下町の駄菓子屋や路地の朝顔、山の手育ちならきれいに刈りこまれた生け垣の奥の瀟洒な館などが最初の記憶なのかもしれない。 私が社会人になって得た友人はほとんどが東京とその周辺の出身で、地方の名家の男性と結婚したその一人が「田舎の人は都会人にふるさとはないなんていうけど、私には世田谷の○○町がふるさとなのよ」と固定観念に抗議していた。 戦争のさなかに疎開先で幼年期を過ごした都会っ子にとっては、やはり蝶やトンボを追いかけた田舎の夏が原風景になっているかもしれないが、当時は田舎も物資不足で人々に余裕がなかったし、戦後の食糧難の時代には足元を見て法外な値段で農産物を売りつけるなど、実際には「のどか」とか「素朴」という形容からは程遠い環境だったから、思い出が懐かしさを伴うかどうか疑問に思う。 イメージというのは勝手で時に実に無責任なもので、地方の人間の狭量をいやというほど味わってきた私にも、フン、何がふるさとだ、という鬱積した感情がある。 (田舎では長男でなく長女であることは無価値で、今でも馬鹿げた差別を役所その他の公的機関から受けている。実力のない男ほど女を蔑視する傾向は、地方では殊に顕著なのだ。) その私が生まれたのは正真正銘の「村」で、絵になるような藁葺屋根や水車などはさすがになかったものの海沿いの町まで歩いて約3キロという所なので、車もなかった時代とあって近くに魚屋、豆腐屋、パン屋、炭屋、塩屋と生活必需品を商う店は大抵そろっていた。(今は全部消えてしまったけれど。) だから原風景といわれれば、アルミの容器を抱えてお使いに行った豆腐屋や、裁縫用のカタン糸・絹糸を売っていた胡麻塩頭の親爺さんも含まれるが、やはり何と言っても、だんだん畑の石垣に咲いていた菫の花、初夏の夕べの蛙の声、梅雨時にたわわに実るスモモ・枇杷などが真っ先に胸に浮かぶ。 こちらに移住して、それも親のためにしょっちゅう帰国せねばならなかった慌ただしい日々が母の死で終わってのち、かちねっと仲間の誘いもあって俳句・短歌に興味を持ち始めたとき、そういう「原風景」の記憶に助けられることになった。 庭に咲く夏の花を壺にぽんと差した部屋で「抛げ入れた蛍袋と昼寝かな」など、昔のわが家の光景がよみがえることも。 しかし50代で別天地に住み始めた私の場合、生まれ故郷の原初の風景に第二のふるさとでの原風景が加わって、「心の奥」は少しばかり入り組んだものとなっている。 この17年、鈍感な性格のゆえか日本を格別恋しいとも思わず、ドイツの田舎の暮らしに特に不満を持つこともなかった。 むしろ、大人になってから初めて時間の余裕ができて周りを見てみると、幼い頃を思い出させる自然や現象にたびたび出くわし、それらを思いがけない贈物のように感じてきた。 気候・風土もそこから来る人間性も多分に異なるのだけれど、日独のパラレルな「相対物」を見て感興をそそられることが稀ではない。 これはしょっちゅう例として挙げるのだが、欧州で晩春の麦畑に咲く赤いひなげしを見るたび、私は秋の稲田の畦に群れ咲く彼岸花を思い出し、ドイツの田舎の子供たちの原風景はこの罌粟の紅で彩られることになるのだろう、などと考える。 麦畑といえば、昨年の初夏にひょこむのコミュで久しぶりに俳句遊びをということになり、フロッピーさんが出した題が「麦畑」だったか「麦秋」だったかで、私も参加したが、そのときフロッピーさんとろれちゃんが、いいね、と言ってくださったのが、 ・コンバインに彼女を乗せて麦の秋 というもの。これは麦作の盛んな中・西欧の風景ではなく、小麦の産地として知られる群馬県でもなく、むかし関東平野のどこかで見た光景である。 そしてその時に、穀物栽培と並んで牧畜も盛んな南ドイツの草刈りの様子を追想して ・ウニモグに刈り草を積む三世代 という句が浮かんだのだが、ウニモグと言われても一般の日本人には何のことか分かるまいとそれには触れなかった。 今回どう説明しようかとドイツ語のウィキでウニモグの項を見るとなんと日本語の説明もあり、日本でも使われているらしい。 そのウニモグ、なかなか立派な堂々たる車両で、それも道理、かのダイムラー・ベンツ社の製品なのだ。その名称の謂れなどはウィキを読んでいただくことにして、私が初めてウニモグなるものを見たのはドイツ史に関するDVDでだった。 日本で言えば江戸時代後半にあたる18世紀末の崩御から数百年、紆余曲折を経てドイツ西南部の城(わが家から遠くない)に眠っていたフリードリッヒ大王とその父王との遺骸が、東西ドイツ再統一を機に旧東独のサンスーシ宮殿に移されることになった。 そのとき、特別列車でドイツの西南から東北へ国土を斜めに突っ切って柩を輸送するため、二つの棺を山上の城から最寄りの駅まで下ろす際にこのウニモグが使われた。 そのために繰り返されたリハーサルの光景がドイツのイメージそのままに整然としていた。 それで気づいたのだが、私の住むあたりの農家の作業にもこの車が登場する。 そろそろシーズンも終わろうとしているが、週末にはパパ、オパ(おじいちゃん)と一緒に、牛の飼料作りのため草刈りに励む子どもたちの姿を見かける。 ウニモグは戦後ベンツにより農作業用に開発されたそうで、いかにもドイツ製の多目的車両らしく頑丈で軍隊の物資輸送や災害救助などにも活躍する文字通り重厚な車なので、小型版でさえも、こう言っちゃなんだが草だけを乗せるにはもったいないほどの雄姿である。 子供の頃は牛馬の引く荷車しか見たことのなかった私が、第二の人生の初めに知ったドイツの多目的四輪駆動車。 今それが自分の原風景となったことに摩訶不思議な心地がする。今風に表現すると、「シュール」ってことになるか。 写真1.日本の麦刈り 埼玉県のようです。 写真2.草を刈る子 どうです、健気でしょう。 写真3.ウニモグ どうです、格好いいでしょう。 |