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2018年09月06日(木) 
小説「ドリアン・グレイの肖像」などで退廃的な耽美派と見られているオスカー・ワイルドの作品に「真面目が肝心」という戯曲がある。

原題はImportance of being Earnestで、直訳すると「真面目であることの重要性」という意味になる。

この題を初めて見た時、さあ、日本語にはどう訳すのだろう、と思っていたら「真面目が肝心」となっていて、あ、うまいな、と感心した。

実はこの題のEarnestは「真面目」と「アーネスト」という名前とをかけているのだが、その話をするとややこしくなるので省略。

それはさておき、最近の一連の経験から「家政というものの重要性」を痛感するようになったので、今日のブログはちょっと気取ってワイルド風に「家政が肝心」という題にしてみた。

この夏、7月末にひょこむで“I’ve got Some Things to Say“という題のかーりーさんのブログを拝見した。というより、これはある記事の紹介なのだが。

記事にしたのはスポーツ新聞記者で、ベルギー人のストライカーであるロメル・ルカクが語ったことをそのまま伝える形になっている。

その中でルカクが言いたかったのは、自分が華々しい活躍をすればベルギー人と言われ、うまくいかないときはコンゴ系ベルギー人とされることへの不満で、それについて「過剰反応」などと反論する気はない。

しかし非常に引っかかったのは自分の子供時代についての彼の述懐で、自分の家庭が極度に貧しい生活を強いられ、そのために家族が「いかれてしまっていた」というのは、事実とは少し違うのではないか、ととっさに思った。

パンを買うお金もないので週末にツケで賄い、牛乳が足りなくなって週半ばには水で薄めなければならなくなる。母親がそうやって水を混ぜている姿を見たと言う。

このとき1993年生まれのルカクは6歳。1999年のベルギーで、移民系の家庭がそれほど貧しかったということはありえない。

欧州諸国においては生活保護の額は当時から既に日本よりもずっと多かったはずだ。もちろん余裕のある家計ではなかったろう。

しかし、20世紀も間もなく終わろうとしている時期に欧州有数の先進国が、レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャンの時代じゃあるまいし、国民にパンも買えないような生活をさせていたとは信じることができない。

ましてルカクの一家はベルギー領コンゴからの移民なのだ。帝国主義時代の過去に「良心の呵責」を感じている政府は、それなりの支援をしていたはずである。

私はルカクが噓をついていると言っているのではない。彼が経験したことは事実だろう。しかしそれをベルギーという国家やベルギー人のせいにするのは理不尽というものだ。

ではどうしてルカク少年は「いかれた」日々を送ることになったか。

これはドイツでもしばしば取り上げられてきた問題だが、移民に限らず失業その他の理由で国から生活費を得ている家庭の多くは、支給されたお金をまっとうに使っていないのである。(そしてこういう家庭には肥満児が多い。問題は食生活にあるのであって、食費が足りないのではない。)

貧しいから子どもがサッカークラブに入れない、と両親がこぼす。娘の勉強が遅れているから塾へやりたいが、その費用がない、とシングルマザーが訴える。

そこで政府がその分を上乗せすると、そのお金は父ちゃんの酒代、母ちゃんのタバコ代に消える。この際と、ペットの犬がもう一匹増えたり。

今は防衛大臣になっているフォン・デア・ライエン女史が家族大臣だった時代、この状況の打開策として考えられたのが、バウチャー方式だった。つまり、学習塾券、サッカークラブ券のようなものを渡し、それを持参するとレッスンが受けられる制度である。券の用途が特定されているので、それで酒を買うことはできない。

国が社会主義政策を推進していくと、こうやって個人の家計のやりくりにまで何らかの形で介入することになる。国民の自由と権利の名のもとに、である。

このように、貧しい家庭の多くには金欠よりも深刻な問題がある。つまり「家政」というものが存在しないのだ。

家政といえば家庭経営・家族の日常の管理ということになるが、殊に貧しいアフリカや中東からの移民の家族にとっては、「経営」「管理」などという概念は星より遠い。

政府から支給される生活保護費で家族5人が暮らしていかねばならないとなれば、親はまず支出の優先順位を考えるのが筋だろう。

しかしもらったら後先を考えずすぐ使うという傾向を改めさせるのは、家族の中にまともな教育を受けた人がいないためもあり、極めてむずかしい。今年5月に会ったルーマニアのジプシーたちにも同じ問題があった。

そうした背景を考えもせず、刺激的なニュースとしてルカクの思い出話に飛びついたスポーツ記者の頭もだいぶお粗末だが、うーん、案外これは承知の上での確信犯かもしれないな。

昨今では女性の働く権利や労働環境の改善ばかりが重視されるようになって、家庭における女性の役割や意義について論議されることはまずない。

だから家政が軽んじられるのは、貧困家庭や移民家族のみではなくなっている。

いや、これは近年の問題とばかりも言えず、昔の女性も家庭第一と教え込まれ「良妻賢母」を目指していたわりには、やはり教育水準の問題もあって「家政」といえるもののない家庭は少なくなかった。

私の母もそんな女の一人で、父親の薄給に不満たらたらだったのが年とともに収入が増えると無駄遣いも増え、それも馬鹿げたものを騙されて買って父に見つからないよう物置に隠したりしていた。

要するに切り盛りの能力がないのである。寡婦になった母の預金高を知ったとき、この人は十分な時間とお金をいったいどう使っていたのかと呆れた。(ついでに、人間関係の「貯蓄」も全くなかった。)

家庭における親の役割、とくに母親の存在の意味を強調したりすると、日本でもそうだが、「先進国」ドイツでならなおさら、保守反動などと非難される。

今は引退したが法学者で憲法裁判所(日・米の最高裁にあたる)判事を長く務め、税制の権威でもあるパウル・キルヒホフという人物がいる。この人は13年前にシュレーダー首相(当時)に対抗して出馬したメルケルに乞われ、その顧問になった。

彼は非常に優れたバランス感覚を有する人物なので、人が独身でいるのも子を持たないのも自由ではあるが、国民の大半がそういう選択をすると国家が崩壊するからと、家庭を持つこと、子供たちのために時間を割くことの意義を強調し、何人もの子を育てている専業主婦への認識を改めさせ、母親業への「年金」を設けることを提案した。

ところがこれに対してドイツの多くの女性が「再び女を家庭に閉じ込める気か」と反発し、キルヒホフを「昨日の人」と決めつけた。

国民の顔色を窺うのに敏いメルケルは、選挙に勝って(辛勝だった)首相の座に着くやいなや、進歩派女性に人気のないこの人物を遠ざけた。

できれば両親そろった環境下で子を育てること、家族の健全な暮らしに心を砕く賢い母親であること。そんなことは私の勝手でしょ、と多くの国民はいう。

出産も育児も教育も、病気の治療も、犯罪人や貧民の救済も、老後の生活も、ありとあらゆるものが「社会化」され公的に面倒を見てもらえる現在のドイツでは、本来ならそれと引き換えに「個人の自由」が多少制限されてもやむを得ないはずだ。

確かに親の子育て方法まで指南することはむずかしい。しかし、家政の能力がまるでない親のおかげでみじめな暮らしを強いられた子供が、そのあげく社会や国家を恨むようになったとしたら、それは「ワタシの勝手」ではすまない。

閲覧数396 カテゴリ日記 コメント7 投稿日時2018/09/06 01:12
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コメント(7)
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  • 2018/09/06 03:47
     日本でも、”福祉のお金がパチンコ代に消えていく” 問題はありますよね。で、それと並行して"生活保護受給者がエアコン使うとは何たる贅沢" ってのもあります。お金出す側の名目との乖離。

     で、サッカーをネタにそのことを論じ出すと、火がついて炎上しまくってしまう。下手すりゃ内戦勃発。自分は基本ただのサッカーオタクとして見てるので、内心そこに踏み込みたくないという気持ちがあります。なので、ルカクにしろ、エジルにしろ、こういうニュースがあったという形から先にどうにも進めないのです。

     エジルとともに批判の的になったギュンドアンがW杯終わってから、コメント出してました。

    【ギュンドアン、独代表キャリア続行を希望 エジルの決断や人種差別問題について言及】
    https://www.sanspo.com/soccer/news/20180828/wor1808…01-n1.html
    2018.8.28
    >  「君たちに言ってもらいたい!ドイツの政治家がフェイスブックで『ドイツのサッカー代表=25人のドイツ人とヤギと交尾するやつらが2人』と投稿したら、それは人種差別じゃないのか?いや、そういうのは人種差別と呼ばなければいけない」
    >  「でもだからと言ってドイツ人がみんなレイシストになるわけではない。そんなことはまったくないよ。僕はドイツではずっとほとんどポジティブな経験しかしなかった。それをクリアに言いたい。ただ、あの写真を政治的に利用した人もいる。それとの関係で、部分的に人種差別への境目が超えられてしまったと言えるだろう」

     ギュンドアンが香川とプレーしてるの好きだったので、くさらずに頑張れよと、そういう気持ちです。

     件のインタビュー、元ネタはドイツ紙『WAZ』ということで、そちらの反応はいかがでしょうか?
    次項有
  • 2018/09/06 17:17
    鉛筆ベッガさん
    > かーりーさん

    Gündogan bei der Nationalelf
    Volle Unterstützung - im Gegensatz zum Fall Özil

    という見出しがFocus紙に踊っていました。意味は
    「ギュルドアン、ナショナルチームに残ることに全面的な支持を得る。エジルのケースとは対照的」

    (Focusは大衆紙でも高級紙でもなく、しかしニュースは網羅的で早くて読者は多い。)

    くさらずに頑張れよ、というのは一般のドイツ人サッカーファンの気持ちでもあるようです。

    そして日常生活でこういう「いいじゃないか」みたいな、ゆるくて気楽な態度というのは、実際にはかなり大きな意味があると思います。

    ギュルドアンのこの姿勢に対しては、案の定naiveとか、事態を理解していない、という声も上がっていますが、そういう連中の多くはスポーツですら政治やイデオロギーの場にしようと待ち構えている。

    問題を先鋭化させたい。それが日常を実に窮屈にしていることに気づかないか、むしろ窮屈さを歓迎している。

    その反対が、関西人風に言うと「まあええやないか、そう細かいことをうるさく言わんでも」ということで、欧州先進国に完全に欠けているのはこういうゆったりした生き方。イデオロギー・マシーンの人間がうるさく叫ぶ「寛容」とは、本当はこういうことなんだけどね。

    "生活保護受給者がエアコン使うとは何たる贅沢"
    この種の非難は、私、個人的に子供の頃から耳にしていました。わが親族の半分はこういう人間だった。

    生活保護を受けている家の子がちょっとこぎれいな服を着ていると「あんな服を買うお金があるんだ!」と言う。貧乏人が車を買うと、これまた車の必要性など無視して非難する。

    そういう連中に限って実力ゼロで、夫や親の稼いだ金でノウノウと暮らしており、自分はそう生まれて死ぬまでそう生きる、って決めている。(ああ、思い出しても怒りが込み上げる。)

    だけど今は「貧」や「贅沢」の概念が全く違いますからね。自分の幼少時代とのあまりの差に不快感を覚えることもあるけれど、室町時代の貧民が今の「弱者」を見たら同じこと言うだろうし。

    それにしても、日常生活における「節度」とか「礼儀」を教えることは非常に大切で、これを教えられるのは親(あるいは祖父母)しかないと私は思っています。学校?あれは先生が働いてその対価に給料もらうところだもの。

    この8月末に文部省のアンケート調査結果の報道がありました。それによると

    「保護者の学歴が高いほど児童生徒の学力が高い傾向がみられるが、より詳しく見ると、児童生徒の学力は父親の学歴より母親の学歴との関係性がより強く出ていることだ」

    とのことで、ここでは話を具体的で分かりやすくするために「母親の学歴」となっていますが、大卒とか修士・博士ということより、母親の賢さが問題なのだと思います。

    しかしそこから、賢さって何よ、という議論が出てくるので面倒。

    教育のチャンスがすべての人に与えられている現代では、学歴で女の知性を測ることを必ずしも「スノッブ」「階級差別」とは言えなくなっている。これは女性自身が心すべき点ではないでしょうか。
    次項有
  • 2018/09/08 10:57
    > ベッガさん
    > くさらずに頑張れよ、というのは一般のドイツ人サッカーファンの気持ちでもあるようです。

    ああ、それは良かった。
    エジルにもギュンドアンにもドイツ国民にも幸あれと心から。
    次項有
  • 2018/09/06 11:31
    zosanさん
    > 女性の働く権利や労働環境の改善ばかりが重視されるようになって、家庭における女性の役割や意義について論議されることはまずない



    こういうことを言うと、或る分野のことに熱心な人たちから大反論が出ることは間違いないのですが、女性、特に母親の役割と言うものは男にはできない、或いはできにくい物が絶対に有ると思います。
    即ち育児、特に乳幼児期の子育てです。これには女性のきめ細かい神経が大いに役立つ分野だと思っています。

    男と女は諸権利は同一であることは間違いないですが、それぞれに得手、不得手分野が有るはず。子育てはその最たるものだと思っています。

    世の中の識者たちは、女性の社会進出を進め男女の区別なくあらゆる仕事に男女同様につけようと考えているようです。女性管理職が少なすぎるとか馬鹿げた数字を追い続けています。これはいかにも情けない。女性が管理するのがふさわしい職場には100%女性管理職で良いですが、男性管理職がふさわしい職場にまで女性管理職を増やすのは基本的に間違っていると思います。

    この事は管理職に限りません、いろいろな種類の仕事について同じことがいえると思います。


    別問題として・・・
    私の住むマンションのすぐ近くに大きな保育園が有ります。
    朝の通勤時間前くらいになるとたくさんの親御さんが子供を預けにやって来ます。自転車で来る方も有れば自動車で来る方も有ります。
    中で気になるのはレクサスのような高級車や外車で来る人が居ます。
    小さな子供を他人に預け、仕事に行くお母さん、大変だとは思いますが子育てを他人に任せてまで高価な車に乗らなければならないのですか、特に私宅周辺は車が無くても十分に生活できるくらいバス便が十分にある地域です。軽自動車にしろとは言いませんが、高級車でなくても、もっと安い車に乗るようにして、子育てに一番適している<お母さん>がお子様を育ててほしいといつも思います。

    国に決めてほしいことは、育児休暇期間を下の子供が小学校に入学するまでとするくらいの思い切った政策を打ち出して欲しいです。
    そのために税金が多少増えても、日本の将来のためには必要なことだと思っています。ただし、税金を使うのは生活保護費不正受給その他、不正に受給している連中を壊滅してからですけどね。。。
    次項有
  • 2018/09/06 18:32
    鉛筆ベッガさん
    > zosanさん
    「こういうことを言うと、或る分野のことに熱心な人たちから大反論が出ることは間違いないのですが・・・」

    私はその「或る分野」に特に熱心ではありませんが、議論の対象である「女性」の一人として物申したいことはあります。異論・反論というより、男性のご理解を賜りたいのです。

    それは別として、zosanのおっしゃりたいことは全面的に理解できますし、かなりの部分同意します。(特に後半の「別問題として…」の部分は、幼稚園の先生をしている若い女性から聞いていました。)

    さて、ご理解いただきたい点ですが、家事というのは基本的に同じことの繰り返しなので「退屈」なのです。もちろん料理や掃除の仕方に創意工夫を凝らして「プロ主婦」になるという、面白くてためになる生き方もあります。(そこでも、賢さがものをいいますね。)

    ただ、働いて能力を発揮すれば出世があり昇給があり、つまり目に見える形で結果を出せる外の職場と違って、家事を評価してくれるのは夫と子供だけ。それも褒めたり感謝してくれることは極めてまれ。

    よほどできた「慎ましい」ヤマトナデシコは別として、こういう生活を何年か続けていると「私って何?」という不満を覚えるのは無理もありません。それで外に出て働きたいと思うようになりますが、自分の知識・技能、家事の合間に与えられている時間等を考えると、多くの場合はパートしかありません。

    実は「パートしかない」という言い方自体が失礼です。

    これはかーりーさんも同意して下さると思いますが、今の日本社会は実際にはパートで支えられている部分が大きく、女性がパートを止めたら多くの企業は成り立たないのが実情です。

    結論から言うと、家事もパート職も、その真価が評価され理解されていないのが大きな問題であり、このことが、女性が本来の適性(これには異論もあるでしょうが)を喜々として発揮するのを妨げているのだと思います。

    ただ、これは男性にだけ「無理解」という問題があるのではありません。男性に伍してキャリアを積んで行く有能な女性たち自身が男性社会に「毒され」て、主婦業・母親業・パート職を軽蔑する傾向があることも、家庭を優先する女性を孤独にしているのではないでしょうか。

    ブログに挙げたキルヒホフ博士の言葉によれば、家庭のマネージャーとしての母親の役割に徹することは「権力ではなく友愛を、金銭ではなく幸福をもたらす」のですが、その実りを得るまでには長い静かな(退屈とも言える)時間が必要なので、権力や金銭を得られる生き方を羨んでしまうのかもしれません。
    次項有
  • 2018/09/06 21:28
    限られた範囲の中でうまく切り盛りして暮らせない妹にいつもカリカリさせられてる私です。
    お金の使い方の優先順位がわからない人っているんですね、これは病気だから怒りで血圧上げたりこちらまで具合が悪くなるのがバカバカしくなります。
    災害に遭ったと思って諦めるしかないようです。
    次項有
  • 2018/09/06 21:51
    鉛筆ベッガさん
    > ろれちゃんさん
    うーん、そうか。災害と思って諦める。母親のこともそう思っていればよかったんだわ。人災ともいえるけど、産んだのは自分じゃないし責任はないから、やっぱり天災。

    ただ、母親がダメ女で娘の私が迷惑するだけならよかったのですが、一家の母親の影響って大きいですからね。いまだに後遺症が出てきて、それでいつも帰国がちょっと怖い。

    私の場合は、やむを得ずよその家族と一時暮らしたりして、他の家庭を見る機会が多かったので、自分の家庭のおかしさに早く気が付きました。

    昔、といっても明治・大正・昭和の初めのことですが、それなりの家庭では、娘を嫁がせる前に士族・華族などの家で行儀見習いをさせたといいます。贅沢で放恣な家はもちろんだめ、質実で厳しいと評判の家が選ばれたようです。

    「他人の飯を食う」というのは意外と重要な人生修養になるのかもしれません。お妹さんも、どこかでそういう経験をなさるとよかったのですね。
    次項有
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