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2018年11月10日(土) 
日本に1か月余りいる間に、珍しく連続純愛ドラマを見ちゃいました。

そもそも、恋愛ドラマのシリーズって私は昔からほとんど見たことがなく、余りに少ないので今でもすぐ挙げられるくらい。

一つはすごーく昔(1980年)の「愛さずにいられない」で、夜間高校に通う30代半ばの川谷拓三がそこの教師(根岸李絵)に恋する話。

もう一つは、これも教師の藤山直美が生徒の父親である岸部一徳といつの間にやら恋仲になる物語で、どちらもNHKの銀河ドラマだったと思う。

出演者の面々から分かるように、典型的な純愛物というのではなくコミカルで一風変わった話なので、つい引き込まれて最後まで見たのだった。前者は脚本がジェームス三木、やっぱり当時の売れっ子作家だけあって飽きさせなかった。

だけどこの10月に何年いや何十年ぶりかで見たのはもう少しオーソドックスな恋愛ドラマで、その名もずばり「大恋愛」、TBSで金曜日夜10時からです。

全く見るつもりはなくて、「んもう、ろくな番組がないなあ!」とチャンネルを回していたら、シャルウィーダンスの草刈民代が出てきたので、おや、この人もこんな年齢になったのね、とついそのまま見てしまった。

そうやって第一回は知らないうちに終盤に来て、そこで戸田恵梨香(初めて見た)演じる主人公が若年性アルツハイマーであることが判明する。偶然一枚のCT写真からそれを見抜くのは、彼女と婚約を解消したばかりの医師。

せっかく見始めたのだからと、日本で数回しか見られないのは承知で毎金曜日夜にテレビの前に座ることになったのだが、それで思ったのはここ何十年かのヒロインの病気の「変遷」だった。

病魔に侵された女主人公といえば、古すぎて私は読んでいないが徳富蘆花の「不如帰」という悲恋の物語が一世を風靡した時期があり、そこではヒロイン浪子は結核のため余命幾ばくもない。

死に瀕して夫の武男を恋いつついう「ああ、人はどうして死ぬのでせう。千年も万年も生きたいわ」という台詞は、この作品が世に出た19世紀末から50余年を経た私の子供時代でもときおり耳にするほど有名だった。

かつて、特に戦前は、死の病といえば何といっても結核でしたからね。他にも致命的な病気はあったはずだけれど、腹膜炎とか腸閉塞などはすぐ死んでしまって恋にふけっている暇はないし、第一病名が散文的すぎる。

もう20年ほど前に物故したが若いとき結核を病んだというさる学者先生から聞いた話では、この病では神経が鋭敏になって脳が澄んでくるのだそう。

そして、患者はどういうわけか透き通るような白い肌に、微熱のため頬が赤いという外観を持つという。要するに女性の場合は美貌に磨きがかかるのである。

そういえば、堀辰雄の「風立ちぬ」の菜穂子も結核だった。アニメの方は見ないので知らないけれど。

しかしそのうち、戦時中にできた抗生物質のおかげで戦後には結核は死の病ではなくなり、変わって悲劇のヒロインがかかる不治の病は白血病や癌になった。

そう、最も有名なのはライアン・オニール主演の「ラブストーリー」ですね。親の反対を押しきって結婚した相手のアリー・マッグロウが白血病で死ぬこの恋愛映画を私は見ておらず、当時巷に流れていた歌の方で知っていたのだが、数年前にこちらでこの古い作品を見て、息子の妻を敵視する父親役のレイ・ミランドが素敵に年とっていると思った。

(この人、ヒッチコックの「ダイヤルMを回せ」で妻を殺そうとする主人公を演じた英国人俳優です。)

だけど紅涙を絞る物語といえば、それより7年も前に日本で「愛と死を見つめて」という実話をもとにした映画があり、これも私は見ていないが(そもそも終わりが悲しいお話が私は嫌いなのだ)、映画の評判はともかく、悪性腫瘍のミコを看とったマコという男性が出した本は130万冊を超えるベストセラーになったとか。

今回これを書き始めて、自分の夫の年齢に近いマコさんは今どうしているのか調べたら、千葉県で晴耕雨読の生活だそうです。穏やかな晩年らしくてよかった!

さてそれでアルツハイマーの患者の話。

実は私がアルツハイマー症なる病気のことを初めて耳にしたのは、やはりテレビドラマでだった。NHKで放送されたアメリカの作品で、これも私が好きなジョアン・ウッドワード(ポール・ニューマン夫人)が演じる大学教授が、授業の最中に自分が何を話しているのか分からなくなり、その場は何とかつくろったものの、日常生活でも明らかに記憶力が減退していることに気づく。

題名の「愛を覚えていますか」は原題Do You Remember Loveのそのままの訳で、当時日本で流行った「愛とナントカ」にあやかったものではない。

それが1985年のことで、その影響ではないと思うが(作品自体は話題にならず、佳作だったのにビデオも存在しないという)、その後あっという間にアルツハイマーという言葉が流布した。

それから15年余りして、もう一つ、心に残るアルツハイマー患者の映画を見た。主人公は実在した人物で、小説家・哲学者のアイリス・マードック。私は一時この人のゴシック・ロマン的な作風に惹かれていくつか立て続けに読んだことがあり、哲学者としての側面は知らないけれど、小説は好きだった。

母の病で帰国していたときテレビで偶然見たのだが、「アイリス」という題も出だしも見逃したのにジュデイ・デンチが登場してすぐ、これはアイリス・マードックの話だと分かった。それほど実と虚がぴったり重なっていたのである。

アイリス・マードックも上記の大学教授と同じく、懐の深い夫の愛情に包まれてアルツハイマーという病に身をゆだねていく。

そういえば、2013年に亡くなったマーガレット・サッチャーも死の10数年前からアルツハイマー症だったそうで、娘さんの話では75歳前後で発症していたらしい。

まったく他人事ではない。しかも困ったことに原因が分からないので、生活習慣を改めるとか、食べ物に気をつけるとか、勉強してしっかり頭を使うといった予防法がないんですね。明日はわが身かもしれない、ほんとうに。

アルツハイマーは一般に高齢者の病気だから、ドラマは病む中高年者が中心で家族の愛情物語にはなるものの、恋愛小説の主人公がアルツハイマーというのは見たことも聞いたこともなかった。

ところが若年性アルツハイマーというのがあるそうで、それならば若くしてこの病に脳を冒された人の悲恋も実際にありえる。

恋愛物語の脚本では定評があるという大石静がそこに注目して生まれたのが、戸田恵梨香とムロ・ヒロシの「大恋愛」だったわけだ。

うーん、恋愛ドラマの病もまた世につれだなあ、と思いながら日本をあとにした。

ところでアルツハイマーというのはハンセン病のハンセンと同じく病気の研究・解明に功績のあったに医学者の名前で、アルツハイマーという名は幸いにしてこの博士の出身地の近辺に少数見られるだけだが、アルツハイマー家は名字を変えたいと思っているかもしれない。

アロイス・アルツハイマーは郷里に近いドイツ南部で活動し、今年私がブログで何度か言及したチュービンゲンの大学で研究に従事した期間が長い。

初夏にチュービンゲンに行った際にお城のそばのレストランで食事をしていて、ふと窓から向かいの丘を見ると古い特徴のある建築物が目にとまった。

あれは何かとオーナーに尋ねると、チュービンゲン大学の心理・精神療法研究所だという。それを聞いて、昼間歩いていたとき町の一角で「ここにかつてアロイス・アルツハイマー博士が住んでいた」というプレートを見たことを思い出した。

「それなら、アルツハイマーの研究はあそこで行われたわけですね」と確認すると、そういうことです、とレストランの主人は頷いた。

症例の研究に続き、一日も早く予防法と治療法を誰かに発見してほしい。

写真はチュービンゲン大学医学部の心理・精神療法研究所

閲覧数506 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2018/11/10 00:37
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2018/11/10 11:41
    zosanさん
    私はテレビドラマはまず見ることはありません、特に連続物は時間的制約が大きいのと、1回でも抜けると何が何だか分からなくなりそうなので心理的な束縛を感じてしまうのです。


    サラリーマン、特に若かったころには見ることもありましたが、中堅以上になり世の中のことがだんだん分かって来ると現実とのギャップなどが気になったりして、煩わしいという感じが前に出てしまってだんだん遠のいていきました。


    ただ、いくつかの主題歌はそれとは知らずに覚えていったことは有りました。♬マコ、甘えてばかりでごめんネ、ミコは本当にうれしかったノ・・・という一節は、なぜか今でも頭にのこっています。その頃は冬になるとスキーに明け暮れていて、リフトに乗っていて何もすることが無いときなどに自然と口ずさんだりしていたものです。
    あきれないでください、あれが映画の中の音楽だってとはたった今知りました。


    アルツハイマー、認知症・・・本気で考えなければならない年齢にとうになってしまっています。
    既に物忘れはかなり頻繁に起こるようになりました。<忘れる>以前に、<覚えられなくなった>と言った方がいいようなことも増えて来ました、例えばホテルのチェックイン。ルームキーなどを受け取るとき先方はいろいろ説明します。部屋のロック解除法、カードをタッチするのか差して抜くのかとか、朝食の場所と時間など、ワンパターンではありますが内容が違うことの説明です。これが右から左に抜けて頭に残っていないのに"Yes Yes"と答えてしまいます。キーカードの使い方は見ればわかるので問題有りませんが朝食の時間など部屋にある説明書か朝食券に書いてあるので問題はありませんが、聞いたのに<記憶していない>という事実がたくさん有るのです。
    この程度のことならよいのですが、いつか必ずもっと大事なことを忘れたり覚えられなくなることが絶対に来ると思います。
    人は「そんなの普通だよ」などと慰めてくれますが、<普通だから良い>では済まないことだってきっとあるに違いないと思っています。

    仰るように
       一日も早く予防法と治療法を誰かに発見してほしい
                       と思っています。         
    次項有
  • 2018/11/10 17:03
    鉛筆ベッガさん
    > zosanさん
    ご自身のブログでもこんなに長いことは稀なのに、ご丁寧なコメントをありがとうございます。それだけ、身につまされる話、なのは当方も同様です。

    マコとミコの歌はご存じだったけれど、その謂れは今回初めて知った、という話には頬がゆるみました。スキー場でリフトに座ってこれを口ずさんでいらした若きzosanを想像しています。

    そうですね、おっしゃるようにフィクションと現実のギャップが明白になると、物語を読む気も失せてしまいます。今やノンフィクションでも「感動」が売りになっているので、いろんなでっち上げやよたっぱちの話が溢れており、見る側・読む側も知性・理性を求められます。

    私の父は晩年大岡越前とか水戸黄門をよく見ていて、こんなあほらしい話をよくもまあ、と思ったのですが、彼が言うには、いっそここまで作り話である方があっけらかんと気持ちよく見られるそうな。一方、母の見るホームドラマ、特に家族の争いや姑・嫁の不和を扱ったものなどは、見たくも聞きたくもない、と嫌っていました。

    アルツハイマー・認知症は昔もあったはずなのに、「呆け」で片づけられていたのでしょうか。高齢者もさほど多くなかったし、呆けるとそのあとはあまり長生きしなかったようですし。

    日本で定期的な目の検査を受けました。幸い遺伝性の緑内障はなく、白内障も問題になるほどではない、と言われましたが、加齢で必ず全員がかかるのが白内障だとか。中には90歳くらいで問題のない人もいるけれど、そういう人も数年後には白内障になります、とのことで、70代、80代では当たり前のようです。

    アルツハイマーなどの認知症もそれに似ているのかもしれません。早めに死んで(変な表現ですが)、認知症が表面化しなかった人もいれば、80歳を過ぎて脳の劣化が次第に顕著になる人もいるのでしょう。

    要するに個人差ということですが、それなら良い遺伝子を持った人を参考にして、アンラッキーな人がどうすれば悪い遺伝子を抑制できるか、研究してほしいものです。

    人間には分化・再生能力を有する幹細胞というのがあるそうで、これによって傷も治るし病も癒えるのですが、生まれたとき億単位の数のこの細胞も、110歳くらいの超長生きの人では数十個になっている、と、これはかの中山伸也教授があるテレビ番組で言っていました。結局人間はどんなに頑張っても120歳を越えることはほぼ不可能でしょう、というのが同教授の結論でした。

    100才を越えれば脳の細胞も相当壊れているでしょうし、そこまで生きることが幸せとは思えませんけれど、それにも個人差ありですね。少々短めでもいいから、死ぬまでしゃんとしていたい、という思いは年とると切実になります。
    次項有
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