高山の 囲める空の 真中占め 五層さやかに 深志城立つ
(松本市役所から) 「黒い外観と、木造で400年以上も保存されていることに、外国人観光客は驚きますね」 近年増え続けている外国人向けの無料通訳ガイドを本丸庭園などで行うアルプス善意通訳協会の北上常孝副理事長(81)がほほ笑む。 豊臣秀吉の命で松本城(旧・深志城)の主となった石川数正・康長父子が天守を築いたのは戦国末期の1593~94年頃。大小の天守を渡櫓で繋ぐ様式は名古屋城天守閣の先駆けだった。中に入ると平城ながら壁は厚く、窓が少ない。実戦を強く意識していたことが分かる。 「秀吉好みの金箔が映える黒い城にしたともいわれるが、もともと戦国の城は黒い板張りが一般的。漆を塗れば防水・防虫に優れていた」と松本城管理事務所の青木教司・研究専門員。白一色の城は権威誇示を重視する徳川時代に普及したという。 その後、六度も藩主の大名家が代わりながら威容を保った天守閣も、明治初期には競売に。地元有力者らが奔走し、ようやく買い戻した。明治中期には老朽化した天守閣が傾き、当時本丸を校庭にしていた旧制松本中(現・長野県立松本深志高)の校長らが資金を集めて修理にこぎつけたことも。 保存に掛ける松本市民の熱意は、1936年、天守閣の国宝指定(52年に再指定)へと繋がる。50年から5年がかりで行われた「昭和の大修理」以降も、城内の案内や清掃、茶会や火縄銃実演など多彩な行事を多くの市民らが支えてきた。 天守閣の漆を毎年塗り替える地元の漆器職人、碇屋公章さん(57)は、「わずかな傷みも早期治療」を心掛けいる。「十数年前の城近くの火事では、焦げた板切れが本丸まで飛んできてヒヤリとしました。城が"元気”でこそ、街にも活気が出る。主治医のような気持ちで見守っています」 市民の期待は、やはり世界遺産。松本市は、93年に登録された姫路城(兵庫県)に加え、彦根城(滋賀県)、犬山城(愛知県)と国宝四城での拡大登録を模索する。 天守閣の最上階に立つと、四方を高峰に抱かれた松本平が眼下に広がった。400年以上も地域のよりどころであり続けた漆黒の"武者"は、今なお人々を魅了し夢を育む。 (松本支局 菊池嘉晃) 天守閣の四階から五階への階段は段差が最大39cm、61度の急傾斜となっている
世界遺産登録へ一丸
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