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2019年01月25日(金) 

冬晴れの昨日、隣町(京田辺市)にある一休さんの寺・酬恩(しゅうおんあん)を娘と二人で訪ねました。

家の近くからバスに乗ってJR京田辺駅まで行き、そこから西に向かって歩きました。

 

京田辺市の中央を貫く府道に出ると、前方に陸橋が見えてきました。《上を通っているのは、たぶん川だろう》と思って、左側の坂道を上がってみると、案の定小さな川が流れていました。この小川は市の東側を流れる木津川の支流なのですが、この辺りの木津川の支流には「天井川」になっているものが多いのです。

小川に架かる橋を渡ると、堤防の下に小さな神社がありました。

  

 

再び府道に戻り、少し先で左に折れて、新しく出来た広い府道を渡って少し行くと、お寺の門前に出ました。門の前に立っている大きな石柱には「酬恩庵」という文字が彫られています。

僕がここへ来るのは三度めですが、娘は初めてです。

 

このお寺は、鎌倉時代に臨済宗の高僧大應国師が禅の修行道場として建てた妙勝寺が前身で、その後戦火によって荒廃していたものを、国師の流れを汲む一休禅師が60歳を過ぎたころに堂宇を再興し、国師の恩に酬いるという意味で「酬恩庵」と名付けたそうです。

以来、大徳寺の住職になってからもここから通い、ここで88年の生涯を終ています。そんなところから、この寺は「一休寺」という通称で親しまれているのです。

 

門を入ってすぐ左側に大きな碑が立っていますが、銅板に浮き彫りにされた文字は一休禅師の筆跡を写し取ったものだそうです。

 

 

だらだら坂を上がっていくと、左側に重要文化財の「浴室」があります。1650年建立と書いてあるから370年経っていますが、そんなことは全く感じさせないしっかりとした建物です。昔の技術は素晴らしい!。

 

浴室の前を左に折れて西へ進むと、右側に一休禅師のお墓があります。一休は後小松天皇の皇子として生まれたので、「宗純王の墓」として宮内庁の管理下にあり、門扉には菊の紋章が透し彫りにされています。

菊の御紋の隙間から中を覗くと、小ぢんまりとした中国風の建物がありました。この建物の中に一休禅師の遺骨が安置されているのでしょう。

(一休寺のHPより)

 

  

 

石畳の道を更に西へ進み、お寺の中心部へと向かいます。 (続く)


閲覧数42 カテゴリ日記 投稿日時2019/01/25 11:41
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定年退職して17年、しかし40年やってきた土木屋魂は未だに消えませ…
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