
亀青小学校学校便り 平成24年8月27日 (月)
校長 黒澤義和
日本中が熱狂したロンドンオリンピックの閉会直後の新聞で
JFA「夢先生」 元なでしこ選手 川上直子さん
という見出しに目がとまり、記事の内容に大変共感したので綴介します。
日本サツカー協会が2007年に始めた「JFA こころのプロジェクト」。
「夢先生」たちは、夢をかなえる三つのボイントとして、
①夢を具体的に書く
を提案しています。
本校の子供たちには、6月の児童朝会で私の小学生の頃の愛読書「甲子園熱球物語」を実際に見せて、プロ野球選手を夢見ていたことを話しました。
この記事の中で、川上さんは子供たちにこう語っています。 2001年、ついに曰本代表に。
「でも日本代表のユニフォームはもう飾りでしかありません。
私もプロ野球選手になるという夢は実現できなかったけれど、プロ野球選手になるという夢をもって、中高生時代野球に打ち込んだことが、その後の自分の人生を歩む上での糧となりました。
川上さんは、親に向けてもこんなメッセージを発しています。
「子供をいい子に」とか「子供を〇〇選手に」と書くご両親がいらっしゃいますが、親の夢まで背負わされたら子供はつらいのです。
私も今から改めて、夢をかなえる三つのポイントを実践してみようかな、と考えています。
町会回覧板から
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
新潟県長岡市の下小国小学校は、山あいの和紙の里にある。体育館に「なでしこジャパン」元選手の川上直子さんが登場し、歓声が上がった。 だが、教えるのはサッカーではない。「夢を持つことの素晴らしさ」だ。 「鬼ごっこ行きます」 鬼役のカワちゃん(川上さん)がスタッフと2人で5、6年生の約30人を追いかけ始めた。全員捕まるまでわずか1分22秒。「すげー」 子ども全員が手をつないで横一列に並んだ。川上さんが上に投げるボールが空中にある間に前進し、体育館の端まで進むゲーム。「だるまさんが転んだ」の要領だ。 ところが、投げるふりをするだけでどうしても何人かが動いてしまう。「よし、作戦タイム」。ひそひそ話で「完全にボールが離れてからしか動いちゃダメ」「かけ声をかけたらどう?」。1人の男の子が合図を出すことに。ゲームの狙いは、協力することの大切さを実感することだ。 ◇ 日本サッカー協会が2007年に始めた「JFAこころのプロジェクト」。サッカーを中心に様々なスポーツ選手が「夢先生」として学校を訪れる。川上さんは開始当初からのベテラン「夢先生」だ。 ゲームを楽しんだ後は、教室で「トークの時間」。 「私は兄のやってることが何でもやりたかった。『えーっ、女の子がサッカーやってる』と笑われる時代に、小1からサッカーを始めました」 男子の中での練習、合宿に何度も辞めたくなったが、母は一度も休ませてくれなかった。小6で女子のクラブ「田崎ペルーレ」を見学し、初めて「夢」ができた。「日本代表のユニホームを見て、かっこいい、絶対これを着るぞと思ったんです」 川上さんはホワイトボードに自分の夢をかなえるまでの道のりを表す「夢曲線」を描きながら続けた。小1~小6は少しずつ線が上へ、中学からはどんどん上がった。ところが18歳で右ひざを痛め手術。回復するまで1年半、続いて左ひざも同じけが――。 「自分だけ置いて行かれた気がして、チームメートにも心の底から『がんばって』とは言えなかった。もう夢はあきらめかけた。というか、あきらめていました」 その時、友達が手紙をくれた。「神様は、乗り越えられる人にしか試練は与えないんだよ」と書かれていた。 「もっとがんばりなさいってこと? がんばっても夢はかなうかどうかわからない。でも、ここであきらめたら後悔すると思えたんです」 2001年、ついに日本代表に。「でも日本代表のユニホームはもう飾りでしかありません。私の本当の宝物は、この時のがんばりです」 ◇ みんなにも夢を発表してもらった後、今思うことを改めて話した。「アテネ五輪に出て2年で引退しました。でももし夢が日本代表じゃなく、『世界一になる』だったら、今もサッカーを続けていたかもしれない。あの試練の時、夢をバージョンアップしていたら……。夢は大きく持ってください」(宮坂麻子)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
マップは 我母校、東京都葛飾区立亀青小学校 両さんのモデルの「三度の飯よりケンカが好きなH君」も |