「弥勒菩薩(みろくぼさつ)と正定聚(しょうじょうじゅ)」
真実信心を得た者は、次の生で必ず仏になることが決定(けつじょう)しているから、弥勒菩薩と同じ等正覚(とうしょうがく)の位である。
弥勒菩薩(みろくぼさつ) 慈氏(じじ)ともいう。弥勒は次の世に成仏する一生補処(いっしょうふしょ)の菩薩として、現在は兜率天(とそつてん)の内院に住している。釈尊が入滅してから56億7千万年を経た時、この世に下生して、竜華樹の下でさとりを開き、衆生を救済するために3回説法する。
一生補処(いっしょうふしょ) 補処(ふしょ)ともいう。一生を過ぎれば仏処を補うべき地位。菩薩の最高階位で次の生涯には仏になることができる位。
等正覚(とうしょうがく) 等覚(とうがく)ともいう。仏因円満した正覚(しょうがく)に等しい位で仏の一歩手前にある者。菩薩の修道(しゅどう)階位に五十二位あるうちの第五十一位。また、正定聚のこと。第五十二位は正覚、妙覚(みょうがく)といい、仏のこと。
正定聚(しょうじょうじゅ) 必ずさとりを開いて仏になることが正(まさ)しく定まっている者のこと。一般には菩薩五十二位の修道階位のうちの初地(第四十一位)をいう。あるいは一生補処の位ともいう。正定聚は他力信心の行者が平生(へいぜい)の信の一念に与えられる利益(りやく)である。
第十八願(だいじゅうはちがん) 阿弥陀仏の四十八願中の第十八願。本願ともいう。 念仏往生の願、至心信楽(ししんしんぎょう)の願ともいう。 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、私の国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます。」(現代語訳)
本願(ほんがん) 仏が因位(いんに)の菩薩であったときにおこした因本(いんぽん)の願いという意。この願いは、それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなっているので誓願といわれる。また、衆生救済のための根本となる願の意で、阿弥陀仏の四十八願中、特に第十八願を指していう。
注)それぞれの言葉の意味は、浄土真宗辞典(本願寺出版社発行)からの抜書きです。 注)第十八願の現代語訳は、「浄土真宗聖典 浄土三部経-現代語版-」より
【後記】 自分のメモとして書いておりますので、専門の方は決して内容を突っ込まないようお願いします。 明日3月16日は、毎週土曜日に行っている土曜会(どようえ)ですが、先々週、先週は拙寺と他のお寺の永代経法要と重なり、2回中止になっていました。お勤めはいつも正信念仏偈(正信偈)六首引きで、明日のご和讃一首目は、正像末和讃三時讃「五十六億七千万」からです。六首のうちのはじめ三首に弥勒菩薩が登場します。上記のとおり、弥勒菩薩は一生補処で56億7千万年後に仏に成られます。真実信心(他力の信心)を得た者は、凡夫でありながらこの世で正定聚の位に即きますので、この一生が終われば必ずただちに安楽(極楽)浄土に生まれて仏に成らせていただきます。ということは、たいてい数十年以内に仏に成らせていただくことになります。弥勒菩薩よりも非常に早く仏に成ります。大変恐縮で申し訳ない気もしますが、すべては阿弥陀様がなされることですので、凡夫としては阿弥陀様にお任せするだけです。横超とはよく言ったものですね。
ご和讃についてはコチラを参考に → https://hyocom.jp/blog/blog.php?key=296601
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