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2019年03月22日(金) 

 新年号発表まで約1週間、年号には愛がない。だから新年号には愛を込めてほしい。

 

   忖度をされる総理がしてみたら いきなりばらされこりゃシンゾーに悪い

 

 トランプ大統領に頼まれ、ほいほいとノーベル平和賞の推薦状を書いたとかいう総理。まさか本気で平和賞に値する人物と思って書いたのではないだろうが、これも国益、国家のためと筆を執ったと思いたい。それが、まさか当のご本人から暴露されるとは。本当に総理にとってはトランプこそ一番忖度(そんたく)してほしい相手であろう。

 

 思い起こせば2017年の11月もそうだった。一緒に回ったゴルフの1番ホール。バンカーで手こずり、あわてて追いかけようと駆け上がったその時、思わず縁(ふち)ですってんころりん大回転。せっかくボールは出せたのに、自分自身がバンカーインという大醜態。あの時だって、トランプが待っていてくれたら、あんな大恥掻かず、マスコミに動画削除の忖度など依頼しなくてもよかったのに、と、愚痴のひとつもこぼしたのかもしれない。

 

 2017年の「森友学園問題」以降、「忖度」は権力者による言外の私利的意向に自主的に従うという意味で使われるようになった《『現代用語の基礎知識 2019』、「ことばでたどる平成」(平成29年・2017]》。しかし、本来、「忖度」には権力者の気持ちを斟酌(しんしゃく)し、阿(おもね)るという意味はない。そもそもこの「忖度」、中国最古の詩集『詩経(しきょう)〔小雅、巧言〕で既に使われている由緒正しい言葉なのだ。

 

 「他人心あり、予(われ)これを忖度(そんたく)【訳】他の人は別な心を持っているが、自分はこれを推し量って知ることが出来る〕」とあって、「他人の気持ちを推し量ること。「忖」も「度」も、はかる意。」という意味の言葉だ。《三省堂 Web Dictionary:『故事ことわざ・慣用句辞典』》

 

 『詩経』は、西周初期(前11世紀)から東周中期(前6世紀)に至る作品群を収めているというから、忖度は3000年以上も前から存在する語だ。日本でも古く『日本書紀』に見ることができる。

 

 厩戸皇子(うまやとのみこ)が「自ら忖度(はか)りて曰(のたま)はく【訳】自分で状況判断して〕《日本古典文学全集『日本書紀』巻第21、崇峻天皇(即位前記)》

 

 このように「忖度」は、相手の気持ちを推し量り、あれこれと思いを巡らす言葉で、そこには相手に対する敬意や親愛の情も込められているはずだ。となると、もう間もなく発表される新年号こそ、天皇、皇室だけでなく、主権者であるこの国の国民に対する「忖度」が必要ではないだろうか。

 

 年号の起源は中国に始まる。年号とは、統治者が土地人民のみならず時間をも支配するという思想に基づき,統治者の特権とされ、年号を使用することはその支配に従うことを意味した《『日本大百科全書』、「年号」》。だから、現在では中国も朝鮮半島もベトナムも、かつて年号を使用していた国々では使われていない。ところが、日本は天皇が統治者から国民統合の象徴となっても「昭和」は終わらなかった。きっとそこにも「忖度」が働いたのだろう。その後、1979年に元号法が成立するまで、「戦後長い間元号は法的根拠をもたない慣習上のものにすぎなかった《日本大百科全書「元号法」》」という。

 

 ちなみに、現在、「年号」は「元号」と同義で使われている。天皇が支配する時間(年)に付けられる名前だから「年号」。しかし、それも吉兆や凶兆があると「改元」される。この「改元」、「元号を改めること」と思われているが、この「元」は「紀元」の「元」と同義で、「元号」ではない。

 

 「紀元」とは、年を単位として、経過した時を年数をもって数える方法の起算点である。例えば、西暦ではキリスト降誕の年が起算点で元年となっている。つまり「元」は「始まり」、「スタート」ということになる。新しい天皇が即位し、新しい時間が始まるから改元し、年号も改める。例えるなら、パソコンを買い換えたら、新しいまっさらなOSでスタートするようなものだ。しかし、ウイルスや不具合が生じたら、初期化して工場出荷時の状態に戻して、再スタートする。これが「改元」のイメージだろうか。だから、昔はひとりの天皇に年号はひとつではなかった。祥瑞(しょうずい)、災異、革命など様々な理由で改元が行われたのだ。

 

 平安末期の歌人西行は1118年(永久6年4月3日改元、元永元年)に生まれ、1190年(文治6年4月11日改元、建久元年)に没するまで73年の生涯を送ったが、その間の年号は、永久から始まったとすると、建久まで30を数える。それが明治天皇以降、一世一元となり、ひとりの天皇にひとつの年号が決められ、年号と元号がひとつになってしまった。つまり「元号」とは、一世一元の(もう初期化できない)天皇の年号ということだろう。

 

 その証拠に、古典文学の世界では断然「年号」が使われている。『日本国語大辞典』を見ても、「年号」の用例は、『令義解』(718年)や『日本後紀』弘仁元年(810年)と古くからあるが、「元号」は、明治22年(1889)の『皇室典範』12条、「践祚の後元号を建て一世の間に再び改めざること明治元年の定制に従ふ」からしかない。だから、正式な名称は「年号」で、明治以降、一世一元となってからは「元号」という呼称も使うようになった、と理解したらいいだろう。

 

 年号は大化から平成にいたるまで247を数えるそうだ(後醍醐天皇に始まる南朝の年号九つを含む)。現在、長寿世界一並びに日本一の田中カ子さん(「子」は片仮名ネの異体字なので、読み方は「かね」)は、明治36年(1903)1月2日生まれで116歳。今度の改元で明治、大正、昭和、平成を越え、五つ目の年号を迎えることになる。すごい!

 

 この新年号、4月1日の閣議で決定し、公表されるという。だから、最終的に決めるのは内閣総理大臣。そこに、また忖度が…と、危惧する声も多い。思い起こせば2015年のことだった。「今年の漢字」に「安」が選ばれた時、総理は「『安』を『倍』増すると『安倍』になる」と喜んでいた。しかし、「安」は、2015年が、「一年を振り返れば不安、安易、安物など否定的な言葉ばかり浮かんでくる《京都新聞2015年12月16日コラム「凡語」》」というように、今も昔も不吉かもしれない。

 

 先述の西行が生きた時代、年号に使われた漢字は60個。その中で一番多いのが「治」で7個、次が「永」で6個。そして、「安」が5個と続く。中でも、西行が49歳からの約10年間(1166~77年)が興味深い。仁安(1166~69)、嘉応(1169~71)、承安(1171~75)、安元(1175~77)と、「安」が3回も使われているのだ。

 

 仁安2年に平清盛が太政大臣になるから、時は平氏政権の最盛期とも言えるだろう。時の天皇は六条天皇と高倉天皇だが、ともに幼帝で、政治の実権は後白河院と平清盛が握っていた。仁安と嘉応はそれぞれ天皇の代替わりで、六条天皇、高倉天皇の即位による改元。次の承安は、災変、厄会を断ち切るために行われた(災異改元)。安元は、天然痘(てんねんとう)流行の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)という《『日本の元号がわかる事典』》

 

 「災異改元」とは、天災地変など凶兆とみられる現象を天の誡めと解釈し、改元して凶兆を避けるものである。私は、当時、人々を不安にさせていたのは、保元の乱で弟の後白河側に負けて讃岐に流され、かの地で1164年9月14日に崩御された崇徳院の怨霊問題ではなかったかと見ている。

 

 崇徳院怨霊の問題は安元2年(1176)に高貴な方々が次々と亡くなったことから意識されるようになったと言われている。6月13日に後白河院の異母妹高松院が36歳で、7月には、8日に後白河院の女御(にょうご)で高倉天皇の母、そして平清盛にとっては妻の妹にあたる建春門院が35歳で、続いて17日に先帝六条院が13歳で崩御している。さらに、9月19日には近衛天皇の中宮であった九条院が46歳で亡くなっている。

 

 世情不安はこれで収束せず、翌安元3年(1177年)も、4月に延暦寺の強訴、大極殿の焼亡(安元の大火)、6月に平家打倒の鹿ケ谷の陰謀発覚と世情を騒がす事件が続発する。そして、ついに7月29日、怨霊鎮魂のための措置として、讃岐院の呼称を崇徳院と改める贈号が行われる。こんな時代に「承安」「安元」という年号が連続するのである。

 

 「安」には世の安寧を切に願う気持ちが込められている。が、裏を返せば、それだけ社会不安が高まっていた証拠だ。そして、安元3年は8月に治承と改元されるが、それでも世は治まらず、やがて治承・寿永の乱といわれる源平合戦が始まり、世は内乱状態となっていく。さらに、それに追い打ちをかけるように、飢饉、疫病、台風、大地震と災害が続き、人々の嘆きは国中に満ちることになる。

 

 だからお願いしたい。新年号には総理が喜ぶような忖度は無用にしてもらいたい。そして、日本だけでなく、世界中の人々に愛と平和が伝わるような文字を選んでほしい。

 

 不思議なことに、日本の年号、いや日本だけでない、中国や朝鮮半島、ベトナムでかつて使われていた年号を見ても、「愛」の字を使った年号は見当たらない《(参照)元号一覧 - Wikipedia》。たぶん、それは仏教語では「愛」は、「十二因縁の一つ。ものを貪(むさぼ)り執着すること。欲愛(性欲)・有愛(生存欲)・非有愛(生存を否定する欲)の三愛その他がある。」《日本国語大辞典》という見方が影響しているのかもしれない。愛は、「中世以降は、仏教的な、排斥され超克されるべき煩悩として取り扱われることが多く、この傾向は近世の終わり頃まで続く。」《日本国語大辞典》という。

 

 しかし、それも過去のことだ。21世紀になって、国民主権の憲法のもと、新しい年号には、ぜひ「愛」を込めてほしい。次の天皇となる浩宮 徳仁親王(ひろのみや なるひとしんのう)のお子さまは、敬宮 愛子内親王(としのみや あいこないしんのう)だ。きっと「愛」を込めた新年号という忖度は、次の天皇も喜ばれることだろう。そこに世界平和の意味も込めて「愛和」なんていいなあと考えている。

 

 ちなみに、「愛和」という年号はもちろん存在しない。地名にもないようだ。会社名、店名や教育機関名にあるのは仕方ない。新しい年号には愛がいっぱい込められていますように。LOVE&PEACE


閲覧数327 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2019/03/22 17:19
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