今はインターネットでウィキペデアなどありますし、出版物も充実していますから、その気になるとほとんどの事物についてすばやく情報知識を手に入れることができます。
それならば、パソコンや書物だけで勉強できるかといえば、もちろんできなくはないけれど、頭にも心にも残りにくい。
やっぱり生身の人間が目の前にいて肉声で教えてくれることは記憶に残ります。だから「先生」の存在は意義があるのですね。
今世紀の初め(20年近く前)まで現役で働いていた頃は、海外出張のたび自由時間には美術館を訪れたものだった。仕事先はやはりアメリカが多かったので、ワシントンD.C.のナショナルギャラリー・オブ・アート(NGA)などは5,6回足を運んだと思う。 フランスに出張ということは一度もなかったため、オルセーやルーブルは自費で訪ね、こちらはパリに3、4泊して連日通った。帰路は英国経由にして大英博物館やテートギャラリーなどにも行った。 英語圏でありがたいのは、これらの美術館・博物館で週の特定の日に専門家が詳しく説明しながら案内してくれることだった。(フランス語やオランダ語では理解できない。) あるときワシントンのNGAを回っていると、オランダ画の部屋で12,3人のグループが中年の学芸員の説明を熱心に聞いている。面白そうなので後ろの方に隠れて盗み聞きしていたら、ごま塩頭のその男性が気づいて「こちらへいらっしゃい、危害は加えないから」と手招きした。 それが初めての経験である。 オーデイオ・ガイドを使うこともないではないが、結構重いのと観るペースが制限されるのとで、あまり好きではない。 さて、先週私はまた出張の夫について一泊でミュンヘンに行った。最初の日には、夫は私をミュンヘンのホテルで下ろしたあとオーストリアの国境から遠くない町まで行って商談を済ませ、その日の夜にホテルに戻った。 それで午後にはたっぷり時間があったので、私は久しぶりに-多分10年ぶりくらいに―ミュンヘンのアルテピナコテークにでかけた。 翌日には夫は午前中いっぱいミュンヘンの企業で打ち合わせがあり、昼食も顧客と一緒だというので、私はまた朝からアルテピナコテークで過ごした。 ミュンヘンにはアルテピナコテークとノイエピナコテークという有名な美術館があり、要するにoldとnewのピナコテーク(ギリシア語で絵画の収蔵庫を意味する)なのだが、ニューと言っても19世紀からなのでさほど新しいわけではない。 アルテ、つまりオールドのピナコテークにはイタリアのジョットなど13世紀以降の絵が常時展示されている。 今回はゴッホやクリムトの絵は諦めて古い絵に集中しようかなと出かけたら、こちらの意図には関係なくノイエピナコテークは昨年から改修を始め、何と終了するのは2025年だという。 いやあ、そのときには私は喜寿を過ぎてるわ。こういう先の話を聞くと、最近はうらがなしくなってしまう。77、8歳の私はとてもじゃないがこんな広い美術館を歩きまわることはできない。 とにかく改修工事のおかげで選択の余地なくアルテピナコテークに入った。 この新旧ピナコテークの収蔵品の数は世界有数でその質も極めて充実しているが、グローバルに知られているとは言い難い。ルーブルやメトロポリタンやウフィッチに比べると超簡素である。 これら大人気の欧米の美術館と違い、ピナコテークの建物はど~んと大きいだけで飾りも何もなく、そこがドイツらしくて私は好きだ。内装も極めてシンプルである。横長の建築物なので、階段はゆるやかだが恐ろしく長い。ただただ長く、装飾はゼロである。 けばいほどに洒落のめした中国・韓国の女性が妍を競ってプロに写真を撮らせまくっていたウィーン美術史美術館などとは対照的な地味さだ。それに相応して受付やクロークの男女も事務的でそっけないが、用は足りる。 常設展のほかにカラバッジョ展もあったが、最初の日にはそれは見ないで常設に集中した。一通り見終わって土産物店でカタログはありませんかと訊くと、昔はあったけど今はフランスやフランドルなど国ごとに5巻になっており、一冊のはありません、と答えた。 12、3年前にはありましたよねえ、と言ったら、男性は「そうそう、ちょうどその頃にカタログを辞めたんです」と笑った。5巻では値も張るが、それより重くて運べない。明日、仕事の終わった亭主に迎えに来てもらったとき買おう。 翌日は掲示板に「ある特定の絵に絞って学芸員が30分説明します」とあったので、それを聞くことにした。そしてその後でカラバッジョの特別展示を見ようと考えた。 30分の説明は無料で、集合場所に行くと私を含めて4人しかいない。これじゃ案内のしがいがないと気の毒に思っていると、現れた学芸員はのけぞるような美人である。日本なら若い男性に取り巻かれて大変だろう。 青い目に金髪で、色が抜けるように白く頬はバラ色。まさに花の顔(かんばせ)だ。ドイツ人にしては小柄なのもいい。 彼女に「今日はこれを選びました」と連れて行かれたのは、フィリッポ・リッピの受胎告知だった。 Fraとあるからブラザー、つまり修道士だったのこの画家は、えらく奔放で乱暴で身勝手な性格だったそうで、絵の才能は万人の認めるところだったので大目に見てもらえたが、しまいには修道院で見かけた美人の尼僧をたぶらかして駆け落ちしたという。 そのあと還俗・結婚が許されたというから、スポンサーのメディチ家にとってよほど逃したくないタマ(下品な言い方でごめん)だったのだろう。 学芸員さんは姿かたちのみでなく振舞も上品で、そんなゴシップ的な話題はさっさと切り上げ、なぜマリアが青いマントを着ているか、他の受胎告知画との相違点はなにか、テンペラ画の特徴はどこにあるか、というような専門的で真面目な話をした。 このあとのカラバッジョ展のガイドには入場料のほか3ユーロを払う必要があるというのに、こちらはこれほど素敵なガイドさんの有意義な話を30分無料でというのではは申し訳ないと、終わってから5ユーロ渡すとびっくりしたように「まあ、そんなこと無用ですのに。でも、ありがとうございます」と受け取ってくれた。 私に息子がいたら是非とも嫁にしたいところだ、などとまたもやロクでもないことを考えた。 さて昼過ぎになって、迫力あるイタリア女性学芸員の案内でカラバッジョを見終わって出て来ると、珍しいことに夫が約束の時間より早く来ている。 土産物店で例の5巻を買ってから、コーヒーでも飲もうとカフェに行きそこで夫に「この美術館、結婚前にあなたと初めてデートしたところよ、覚えてる?」というと「うん」とそっけなく答えた。 「そのときあなたはこのカフェでトマトとモッツアレラチーズのサラダを食べたのよ、覚えてる?」と、また畳みかけるように訊くと「そうだっけ」と俯いたままで言った。 あれは2001年の一月のことで、当時はドイツに住むなんて私は夢想だにしなかった。夫の方はどうだったのか、まあ、そのあたりは訊かずにおこう。 ところで、フィリッポ・リッピだが、結婚した元尼僧との間に生まれた子フィリピーノ・リッピも有名な画家になった。フィリッポの描いた聖母子のモデルは自分の妻子だと言われる。 そのことも面白いけれど、私はフィリッポ・リッピの絵の聖女たちがかのボッティチェリの描く女性に良く似ているので不思議に思ったのだが、これはボッティチェリがフィリッポ・リッピに師事していたためだという。 そして父親の弟子だったボッティチェリは、今度は息子のフィリッピーノの師匠になった。だからこの三人の描く女性は姉妹のように似ているのだとガッテンしたのであります。 1. フィリッポ・リッピの聖母子 2. ボッティチェリのビーナス 3. フィリッピーノ・リッピの聖母子 |