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2019年09月09日(月) 
 首都圏を最強クラスの台風が直撃し、今日は交通機関が乱れて、大変なことになっているそうだ。正直、これが一週間前でなくて良かったと思っている。先週の月曜は、朝早くデビットと久しぶりに会って、午後は昔の日本語学校で同僚だったお姉様の先生方と、これも久しぶりに再会して、楽しい時間を過ごして京都に帰ったからだ。

 デビットなんて、もう10年以上会ってなかったと思うのだが、不思議なことに、以前より若く見えた。50過ぎてるはずなのに、まるで30代に見える。これも彼が世田谷で「若石足療 健康と癒しの書斎」をやっているからなのだろう。そんなデビットだが、カフェーのメニューを見るのに、眼鏡をかけている。「それって、老眼?」と、思わずニッコリ聞いてしまった。

 人生、なすがまま。これを英語にすると「Let it be」かな。東京には学会発表をしに行ったのだが、4日間ずっと中学からの旧友ミノル君ちに居候(いそうろう)させてもらった。中学の頃だから、もう50年近く前のことになるのに、楽しいことがいっぱいよみがえってきた。そうそう、あの頃のミノルは「イチビリ」でと話したら、鹿児島出身の奥さんに通じなかった。僕はずっと標準語だと思っていたのだが、「イチビリ」は関西弁だったのだ。お調子者、おふざけで目立とうとする者というような意味だが、関西にはイチビリが多い。奥さん曰く、「イチビリ×2で、ニチビリですね」と言われてしまった。

 考えたら、人との縁とは不思議なもので、昔仲良しだったけど、今は音信不通の人もいっぱいいるのに、繋がる人とは、人生なすがまま、ずーっと繋がっている。東京には金曜に着いたのだが、夜は中学時代の同級生4人で新宿で飲んだ。その前、お昼に東京駅に着いた時には、K西さんが車で迎えに来てくれていた。

 K西さんは、今は東京でマグロの卸し屋さんをやっている。以前は築地だったが、今は豊洲市場に外国からの輸入マグロを卸している。このK西さんと出会ったのが今からちょうど40年前の1979年暮れのアテネだった。僕は、当時、英国で語学留学中。クリスマス休みを利用して、暗くて鬱陶しい英国を脱出し、南国ギリシアにぶらっと一人旅に出たのだった。

 空港に着いて、すぐ市内中心部へ向かう。バスを降りて、まずランチ。英語の通じそうな店を探すと、「American Restaurant」の看板が目に入った。確かビルの二階だったと思う。ドアを開け、恐る恐る入って、出てきたメニューが……α、β、γ、δ……、読めない!そんな時に、ふと後方からは日本語が……。振り返ると、まだ3~4歳くらいの幼児を抱えた30代くらいの家族連れがいたのだ。すぐに彼らに事情を話し、彼らのおかげで英語のメニューが来て、適当に何か頼んで、無事、食事することができた。

 彼らのチラッ、チラッという視線を気にしながら、先に食事を終えた僕は、一言、お礼を言って店を出ようとした。その時、「アテネには何しに?」「観光に。」「何日ぐらい?」「年末年始の1週間くらい。」「これからの予定は?」「特に何も。」のような会話を交わした。すると、急に「アルバイトしませんか?」と言われてしまった。

 見ず知らずの地で、知らない人から突然アルバイトなんて言われても、用心するに越したことはない。が、一応、何のバイトが尋ねてみた。すると、彼らはこのアテネで日本料理のレストランをやっている。年末年始は忙しいので、バイトしてもらえると助かるとのこと。で、その日の午後にパルテノン神殿とかを観光し、その後の1週間はずっとアテネでバイトをした。そのレストランで当時コックだったのがK西さん。

 当時の僕は、日本を出る前に祇園のレストランで皿洗いのバイトをしていたからか、コックという人種については先入観を持っていた。しかし、K西さんは僕の持つコックのイメージとはかけ離れた、インテリで話が面白く、いつまでも話が尽きない楽しい人だった。聞けば、当時のK西さんさんは、東京の大学を出て、ずっと司法試験の勉強を続けていたのだが、それを断念し、親友に誘われ、アテネでコックを始めたばかりだったという。

 アテネから英国に帰って3月になり、春休みの日本からは友人のナベちゃんが英国に遊びに来てくれた。その時、ちょうどロンドンに遊びに来ていたK西さんも合流し、僕の友人達と一緒にロンドン観光をしたこともあった。

 やがて、月日が流れ、毎年、僕はアテネのK西さんに年賀状を出していたのだが、いつしか返事も来なくなっていた。普通なら、ここで「The end」なのだが、不思議な縁は切れていなかった。友人のナベちゃんが就職し、やがて転勤でヨーロッパで仕事をするようになる。ある日、出張でアテネに行ったナベちゃんは、昔、僕がバイトしたというあのレストランを探して行ってみたのだ。そして、食事をしていると、ふらーっとK西さんが店に入ってきたという。ロンドン以来の再会だったが、そこでナベちゃんがK西さんの連絡先を聞いてくれたので、またご縁が復活することになった。

 なんでも、当時、K西さんはアテネではなく、サウジアラビアのレストランで働いていて、たまたま休暇でアテネに来たので、昔の店に顔を出したのだという。不思議な偶然が重なって、ご縁が復活したのだが、人生なすがまま、私たちは見えない力に操られているような気がする。

 やがてK西さんは、地中海のマグロを日本に輸入する会社を手伝うようになり、日本に帰国し、ずっとマグロ屋さんをやっている。前に会ったのは、確か10年以上前に隣のヤマムラさんを連れて、東京に遊びに行った時だった。今回は、K西さんの馴染みのホテルでランチバイキングをご馳走になった。考えたら、ずーっとK西さんにはお世話になりっぱなしだ。

 K西さんといると楽しい。40年前のアテネの時とぜんぜん変わらない時間が流れる。
「僕、このホテルの社長と知り合いだから。」なんてこと、従業員の女性に話しかけるK西さん。ちょっと畏まる従業員。「もっとも、向こうは僕のこと知らないけど。」なんて話、平気でするK西さん。70過ぎても元気溌剌で、面白すぎる。そんなK西さんが今回言ってた名言が「人生なすがまま……、きゅうりがパパ。」

 東京にいた4日間、ずっと「人生なすがまま、きゅうりがパパ」が耳底に残って消えなかった。これは英語に翻訳できないな。Let it be…

※ちなみに、この言葉は、K西さんによると、昔、どっかでタモリが言ってた言葉らしい。

閲覧数64 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2019/09/09 12:55
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2019/09/10 13:40
    zosanさん
    すごいですね、旅先のギリシャでアルバイトとは・・・。
    留学中と言うことは20歳前後のころかと推察いたしますが・・・。
    次項有
  • 2019/09/10 16:05
    鉛筆互福店さん
    > zosanさん
    はい。その頃のギリシアには世界一周の貧乏旅行をしてる人達が集まってきてました。同じバイト仲間で日本人の若い女性が二人いましたが、二人とも旅の途中でアテネでバイトしてました。この店には寿司職人の板前さんもいて、本格的なにぎり寿司を出していました。その横で僕は俎板を洗ったり、焼き鳥の串打ちをしたりしてました。オーダーは日本語とギリシア語がちゃんぽんになっていて、日本人の客と欧米人の客とではご飯の量を変えてました。日本人と同じだけの量を欧米人は食べなかったようで、日本人のご飯を通すときは、「ライスメガロ」、欧米人には「ライスミクロ」って言ってました。それを不思議な感じで聞いてました。ギリシア語では大がメガロで、小がミクロなんですが、僕には「ご飯極大」「ご飯極小」みたいな感覚で、面白かったです。もう遠い、遠い昔になってしまいましたが、先週はこんな思い出を一杯、一杯語り合ってきました。

    その頃は、まだイランには王様がいて、インドからパキスタン、アフガニスタン、イラン、イラク、トルコを陸路で移動する貧乏旅行者がいました。その頃もアラブとイスラエルは戦争してましたが、今よりずっと平和でした。
    次項有
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