10月はじめには日本に帰国とのことですね
1年ぶりの帰国ですね日本は猛暑も終わり
一番いい季節だと思います。
お元気で帰国されることをお祈りします。。。。。
というと若い人の話のように思うが、これは80歳近い高齢者の実例。 先日、夫の姉から電話があってアメリカ人の親戚4人が欧州に来ており、ローヌ川(フランス)の船旅に案内したあと自宅によんだので、あんたらも訪ねて来なさい、と要請(実質命令)があった。 まったくこの義姉は、未亡人になり診療所も畳んですっかり退屈しているため、何かを思いついて実行するのはいいが(手配の大部分は自分の家来のような中年女性にやらせる)、すべてに詰めが甘くて最後は弟二人の救援を求める。 こっちはいい迷惑である。このところ、北ドイツへの出張やスイスからの訪問者の接待やウィーンから来る演奏家の歓迎会などで忙しい。私の帰国準備もせねばならない。 そこへ、片道3時間かけて郷里の自分のところへ親戚に会いに来いという。 腹が立って「私は行かない」と言ったが、アメリカ人が私たち夫婦に会いたがっているというので(むろん義姉の策略だが、再会を望んでいるのは事実)仕方なく出かけた。 私たちが行くまでに4人を自宅に泊めていた義姉は、英語がそれなりに堪能とはいえ、どうもてなすべきか知恵が尽きて近辺の縁者をお茶に招いたりしていたが、いずれもジイサン・バアサンで英語が話せずドイツ語ではアメリカ人とコミュニケーションができない。 結局ドイツ人とアメリカ人に分かれて雑談するだけで、これでは何のためのお茶会か。 義姉の上の弟、つまり夫の兄はすぐ近くに住むが、その妻はまだ働いており自身もやることがあるし、何よりボス面をしてあれこれ指図する姉が嫌いで避けまくっている。 しかし彼もその妻も、私たちが来るなら一緒にアメリカ人と会ってもいいと言う。 それで渋々出かけ、まず町に最近できたレストラン(教会を改造した建物)で一緒に夕食をとった。義姉はまたもや見たこともない親戚のドイツ人老夫婦を連れてきており、私たちが到着したときはアメリカ人4人が固まって何か話していた。 義姉はさっそく夫と義兄夫妻にドイツ人親戚の相手を任せ、何やらえらく疲労困憊している様子である。 そりゃそうだろう、いくら家が広いからって、そして家政婦がいるからって、4人もの客を4、5泊させて朝から晩まで面倒を見るのは83歳の身にはこたえる。 「だけど言い出しっぺはあんたで、私たちは前もって相談されていたわけじゃないわ」と、こっちは同情する気になれない。 とはいえ、夕食の席でアメリカ人が孤立している風なので、必然的に私がアメリカ人の中に入ることになった。 私の英語が一番マシなので(これでも)、4人はそれで十分喜んでくれたが、ついでに義姉のやり方についての不満も暗に口にした。 私が結婚してのち、義姉は親戚の集まりを2,3度催したことがありそのときは英国人たちもいて人数も多かったので、ドイツ語グループと英語グループに分かれてもそれぞれ話題は山盛りだった。 もっとも米国と文化の異なる英国の親戚は「米国人と英国人は同じ言葉によって分断された二つの国民(two nations divided by the same language)」だと言い、考え方は欧州人であるドイツ人の方が馴染む、と漏らしていたが。 それが今回はアメリカ人だけで退屈してしまうことが多く、77歳の女性が私に「H(義姉)が連れて来る人がどこの誰やら私たちは知らないし、話すこともできない。何のために招くのかしら」とこぼした。 彼女(仮にメアリーとする)はフランクな人で、私もフランクさにかけては人後に落ちないので、これまでに「あの義姉さんは世間知らずで時に妙なことをやらかすのよ」と忠告していたが、親戚の中では最年長でリーダーを自任しているので皆が従っていた。文句垂れの義兄や夫さえ。 それが今回はメアリーも「あんたの言っていた意味がよく分かったわ」と私に囁いた。 さて、アメリカ人4人と言ったが、実はその一人とは義姉も義兄夫婦も私たちも今回が初対面であった。 二組のカップルのうち、テキサスから来た若い方(50代後半)は昨年も義姉に頼まれてうちの亭主が観光案内をした。このときも亭主はガイド兼運転手でしかも食事などは全部こっち持ちだ。 彼らを招待した義姉はすまして同席しているだけ。味をしめて、また来年同じことをやらされるわよ、と私が警告していた通りになった。 だけど夫婦ともに現役でちゃんとした仕事(パイロットと会計士)についており、見聞も広い人達なので、懐が少々いたんでもまあ構わない。だからといって義姉の図々しさは容認できないが。 もう一組はインディアナ州からで、メアリーの夫の方が亭主のD家の親戚だったのだが3年前に突然心不全で亡くなった。メアリーの嘆きはひとかたでなく、しばらくぼんやりと暮らしている風だった。 娘も息子も近くだし孫も成長して、年金は十分、親子仲も良い。だから日常生活には何の支障もないけれど、ビル(故人の名前)の不在を埋めてくれるものは何もない、と私にメールを書いてきたりした。 ところが昨年テキサスの夫婦と会った際「メアリーにボーイフレンドができたのよ」と聞いたので、へええ、やるもんだ、と思っていた。そして今回そのボーイフレンドであるベンを欧州に連れてきたのである。 ベンはなかなかの好人物でメアリーともお似合いだった。義姉の招待を受けて、このボーイフレンドにぜひともドイツを見せドイツの親戚を紹介したかったのだそうで、それだけに義姉の意味不明の振舞に困惑していた。 D家と直接の血の繋がりのないメアリーだが両親ともドイツ系で先祖の話になると共通点が多いため、今は彼女と実の親戚のように付きあっている。 それにしても、お互いどうやって知り合ったの、と尋ねると二人は顔を見合わせてクスクス笑った。 仲を取り持ったのはインターネットだという。そういうサイトがあることは聞いていたが、何だか胡散臭いと思っていたのに、こんなにぴったりの相手を見つけられるなんて。 聞けばそのサイトを勧めたのは、4年前に離婚しその1年半後に再婚した娘だそうだ。 こちらもインターネットで申し分のない再婚相手を見つけた。その新郎についてテキサスの夫婦が「素晴らしい人よ、アンは本当に幸運だったわね」と昨年言っていた。 その幸せを母親にも味わわせたかったのだろう。嫌がる母親に探し方のステップを教え、返事をくれた相手について「セスナ操縦が趣味なんて、そんなの共有できるわけないでしょ」と母親が文句を言うと「そんなの大丈夫。一緒に食事したり音楽会へ行ったりする友達がほしいんでしょ。だったらまず会わなきゃ」と娘に説得され、会ってみると気持ちが通じてたちまち親しくなれたそうな。 そして現在79歳のベンの方もほぼ同じ時期に妻をなくし、二人の娘は同じ州内で暮らしていて婿もやさしく、似たような境遇と分かった。 いやあ、めでたい、めでたい。 なんでもズケズケの私にメアリーは心を許してか、いろんな逸話を話してくれて「結婚したら、という人もいるけど、この年になるとそんな面倒なことしなくても二人でいて楽しければいいのよね」と言う。同感である。 困ったバアサンの義姉にもボーイフレンドがいたら少しは世故長けた人間になるかもしれない。だけどインターネットを介してなんて、頭からバカにするだろう。だからメアリーも彼女には話してないようだった。 義兄と夫に「義姉さんのボーイフレンド探し」を提案すると、被害者がもう一人増えるだけ、と言下に棄却された。 レストランの食事が終わって、二次会は私たちの森の小屋でやろうということになり、義兄夫婦がワインをもってきてくれて計8人で話が弾んだ。床に就いたのは夜中の2時。まだまだ若い?! 写真はD家の姉弟の住む田舎。私たちの小屋は森の影で見えない。 (帰国は10月初めですが、それまでにまた二・三度でかけ手留守にしますので、次回のブログは多分12月になります。) |