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2019年10月14日(月) 

先ほど上ってきたムーゼック通りを東に向かって下ります。
当たり前ですが、上って来た時とは全く違う光景が広がります。

 

 

 

坂を下りきるとバスなどが走る大通りに突き当り、ムーゼック通りは終点になります。

大通りを少し左の方に進むと、右から来た通りと合流し道幅が広がります。
大通りが合流したところのちょっとした広場、Löwenplatz(ルーヴェンプラッツ:ライオン広場)に面した丸いビルの横に細い道路が有ります、Löwengartenstrasse(ルーヴェンガルテンシュトラッセ:ライオン園通り)と言う名の通りです。

 

 

この道に入り進むとすぐにライオン園が見えます、Löwendenkmal(ルーヴェンデンクマル:ライオン記念碑)と言う小さな公園です。

茂った木の葉の間からちょっとライオンの像が見えます。

 

 

 

中に入ります。広くはない公園ですが池の向こうの背の高い岩壁の洞あなのくぼみにライオンの像が彫り込まれています。

 

 

じっと見入っている人が何人かいます。

 

 

 

ライオンをよく見てみると背中に何か刺さっているように見えます。聞くと矢が刺さっているのだそうです。
そして前足で槍を抑え円盤状の盾を抑えています。

 

 

顔はとてもつらそうな表情を見せています。

 

 

 

像の上にラテン語でタイトルが彫られています、HELVETIORUM FIDEI AC VIRTUTI・・・"スイス人の忠誠心と勇気のために"と言う意味だそうです。
そして下には何か説明文が彫り込まれていますがこれもラテン語なのでしょう、全く分かりません。

 

 

 

公園の一角に事務所のような建物が有るのですが、トイレ以外の機能はないようです。
このライオン像に関する説明が書かれたパンフレットなどが欲しかったのに残念でした。

 

 

帰国後調べてみると、この像はヨーロッパでは大変有名な像だそうで、話は1700年代のフランス革命までさかのぼることが分かりました。


これと言った産業を持たなかったスイスは人的資源を外国に提供して経済が成り立っていたのだそうです。
要は、出稼ぎで経済が成り立つ国だったと言うことです。

その主たるものは傭兵、つまり兵士を外国に送って戦いに参加してお金を稼いでいたのだそうです。

 


1789年から10年余り続いたフランス革命さなかの1792年、暴徒と化した群衆からルイ16世と妃のマリーアントワネットを守るため命を落とした800人近いスイスの傭兵を弔うためスイス人が慰霊碑を立てることを決め、デンマークの彫刻家がデザインしドイツ人石工が岩壁を彫り1821年に完成したのがこの像でした。


日本ではこの像を<瀕死のライオン像>と名付けているようですが、ドイツ語(ルツェルンで日常使われている言葉)では<ルーヴェンデンクマル>、すなわちライオン記念碑と言うだけで瀕死の・・・と言う言葉は見付かりませんでした。


閲覧数39 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2019/10/14 17:38
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2019/10/14 19:29
    ベッガさん
    スイスのために命をささげた人々を雄々しいライオンに象徴させ、彼らへの哀悼と感謝の意を示しているのですね。

    黒部ダムの建設で命を落とした作業者を悼んで建てられた「尊き御柱にささぐ」という像を思い出しました。
    次項有
  • 2019/10/14 20:34
    鉛筆zosanさん
    > ベッガさん
    何かのために命をささげた人たちをたたえるための記念碑、いろいろなところにいろいろな形で建てられていますが、皆、尊い命が込められているのですね。
    次項有
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