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2020年01月09日(木) 

鉄道ピクトリアル1984年8月号 国電80年の特集)

 

 

 

●特集
国電80年


 

1971(昭46)年4月20日

常磐線と営団千代田線の「相互乗入れ」

 

曽根悟(東京大学工学部教授)

 首都圏の放射状路線の混雑を緩和する通勤五方面作戦の一環として、常磐線でも線増が進められ、都営1号線(現浅草線)以来実績を重ねてきた地下鉄による都心直通方式をここでも採用することになった。地下鉄との相互乗入れは、昭和35年の京成一都営1号線以来、東武一日比谷線一東急、京急一都営1号線、中央線一東西線一総武線と例も多く、それぞれ若干の問題を提起しながらも、全体としては通勤輸送の改善に大きな役割を果してきた。
 常磐線線増も本来は通勤輸送の質を格段に高める効果を持つ筈であった。たしかに線増の第一の目的である輪送能力という量的な面では当初の目的は達したといえよう。しかし、線増のもう一つの重要な側面である質的改善がこれほどおろそかにされた例は珍しい。
 “迷惑乗入れ”として利用客から猛反発を食らわねばならなかった原因は何か。折角莫大な金をかけながら計画時点での配慮不足が後々まで尾を引いていることなど、線増、新線計画などに大きな反省材料を提供したこのケースを振り返ってみよう。

 

 綾瀬接続の不自然さ。
 本来の千代田線は常磐線北千住から分岐して都心へ向かう路線であるのに、千代田線用の検車区が綾瀬にできるため国鉄との接続を綾瀬にしてしまい、しかも、綾瀬にも北千住にも快速線との間に渡り線を設けないという基本的設計ミスを犯してしまった。このため、たとえば亀有から南千住に行こうとすれば、綾瀬一北千住間は営団線を通った上、北千住で地下ホームから地上ホームへ移って乗りかえねばならないという事態が生じてしまった。さすがにこの営団区間は国鉄線とみなすという営業上のルールで、乗客の運賃負担上の問題は避けたものの、営団がストをすればこの乗客は松戸まで戻って快速に乗りかえ、3倍もの距離を引きまわされるという問題は、いまだに続いている。

 

 系統分離と需要推定の失敗
 線増以前に日暮里または上野で乗りかえて勤務先に向っていた通勤者が、線増後は、どのようなふるまいをするか、西日暮里に山手、京浜東北線との乗りかえ駅を作り、大手町、日比谷、霞ヶ関へ直通するという千代田線系統利用の利点と、上野に直通する快速のスピード、運賃上の利点(当時は営団よりも国鉄の方がはるかに安く、特に国鉄一本で行けるルートならば、その差は大きかった)とを比較の上、当然需要推定を行って新ダイヤがスタートした筈であった。
 結果は開業初日から大混乱で、千代田線緩行系統はガラ空き、快速は超満員積残し続出ということで、廃車予定の72系電車を呼び戻して急場をしのぐという、不名誉な記録まで作ってしまった。
 この原因は何であろうか。一つは需要推定技術自体の問題であり、もう一つは系統分離に無理があったことである。
 需要推定が当たらないのは珍しいことではない。むしろ正確に当たる方が稀である。しかしこの常磐線のケースは、はずれ方がひどすぎた。その原因は以下の3要因をいずれも過小評価したことにある。

①快速の速さ
②緩行千代田線系統を利用して西日暮里で乗りかえる場合の営団を中に挟むことの運賃負担増

③慣れたルートを利用するという乗客の習性
 一般に新線ができると、新しいルートは高いが速いというのが普通である。速いことの魅力はきわめて大きいが、他の二つが足を引張って結果的には大体予想どおりとなることが多いが、常磐線では全部の誤差が同じ方向に出てきたため、破局的な結果となってしまったのである。①の過小評価はこの事件にもかかわらずその後も続いており、最近でも東急新玉川線、東北新幹線、横須賀線別線線増時に、いずれも速い方の混雑が予想を大幅に上回った実績を示し、当事者の需要推定技術の向上が相変わらず不十
分であるとの批判を受けている。
 このようなことになったのも、根本原因は客の好みを無視した不自然な系統分離にある。快速停車駅の客は日暮里、上野へ向かい、快速通過駅の客は千代田線に向かうということを前提に設備やダイヤが作られているが、これは実に乱暴な話である。相互乗入れの先輩格である京成や東武では同一ホーム向い側で乗りかえを可能にしたり、乗入れ列車の種別を固定しないで対処している。
 常磐線の場合にも二つのホームを方向別に使用し、快速⇔千代田線、緩行⇔上野の直通も可能とするとともに、乗りかえも同一ホーム向い側の原則を守っておけば何ら問題はなかったのである。北千住駅が荒川橋梁と隅田川川底トンネルの途中にあるという、線路縦断面上多少厄介な場所にあるという理由はあるにせよ、基本計画のミスであることは間違いない。

 

 不可解な快速停車駅
 線増完成時に快速が柏に停車しなかったことは、今では信じ難いことであるが、その後も快速の停車駅選定には疑問が多い。かなりの通勤客が利用する武蔵野線接続駅新松戸に停車せず、取手までの線増が完成した後も天王台に快速が停車し続けるなど、方針に合理性も一貫性も見られない。特に線増後の天王台に快速停車を続ける運動は、地元我孫子市の地域エゴにより実現したもので、筆者も同市民の一人として恥かしい思いをしているだけでなく、高い市民税を無駄使いされた被害者でもあるのである。その結果、天王台駅利用者は利益を受けたかというと、これも実は逆で、当初計画どおり緩行が延長運転されていれば、朝夕は数分、昼間は12分間隔で便利なダイヤが利用できた筈のところ、延長線増部分に列車を走らせる必然性が失われてしまったため、朝夕のラッシュ時に数本ずつ走らせるだけで、昼間は列車が走らず、本数が少ない上に不規則な快速を時には30分以上も待たねばならないという不便なことになってしまった。今の状態では地元負担で作った駅設備どころか、線増自体が無駄であったと言われても反論ができまい。
 いずれにしてもこれは最悪の選択であった。地域エゴを容認するつもりは毛頭ないが、仮に要求するにしても、もっとうまい方法はあったのである。それは、線増を機会に、快速の我孫子一取手間は緩行線を走行させることで、この案ならばホーム増設も不要で、中長距離電車に迷惑をかけることもなく、利用者もいつも同じホームが利用できるメリットもある。快速を走らせるとATCと地上信号の二重設備という問題はあるが、全体案としては、はるかにすっきりしたものになる。

 

 国電の歴史と常磐線
 常磐線には国電の中でも異例なものが多い。比較的早い時期に隣接千葉県を通り抜けて茨城県まで国電が足をのばしたり、短期間ではあったが70系電車の応援や、山手・京浜東北分離までのつなぎとして有楽町に乗り入れたこともあった。取手以北を交流電化して交直流電車をまっ先に走らせ、座席定員ベースの客車列車を立席を含む交直流電車に置替えて乗客に叱られたこともあった。
 また、三河島事故後の安全対策として全線にATSを設置したのは有名であるが、特に常磐線にだけ防護用の列車無線を設けたり、在来線としては最初にATCを緩行線に使用したのも実は三河島関連なのである。

 線増後の快速線は国電としては表定速度が高い方であるが、どうした訳か全く走行性能面で不適格な103系が用いられた。緩行線も営団のアルミチョッパ車6000系と並べて浪エネ車103系を新製投入したのはセンスが疑われ、この悪習は筑肥線にも伝染してしまった。さすがに営団に毎年支払う浪エネ代に音を上げ、103系の物理的寿命を待たずに今年から203系の大量投入に踏みきった。
 中距離電車は相変わらず問題山積である。柿岡の地磁気観測所との関連で交流電化を採用したのだが、その後の技術を活かして直流化の可能性も生まれているが、これの検討が進まない間に、取手一土浦間の宅地化、研究学園都市建設が進み、輸送力増強が不十分なまま、来年3月には科学博が開かれる。このしわよせは新製415系電車をロングシート化するという安易な対策によって乗客に来ることになっている。当面の対策として筆者は15両化に当り、8M7Tでなく6M9Tを提案、これによって同じ費用で増加座席数を2倍にできることを示し、関係者の賛同も得たが、結局この案は採用されなかった。このように、常磐線は良く言えば変化に富み面白い路線であるが、見方を変えれば御都合主義で一貫性がなく、いつも乗客サービスは後まわしになるため、乗客の 国鉄不信の高さにかけても一、二を争う路線でもあるようだ。
 国鉄も今急速に変わりつつある。科学万博を乗りきった後にでも、乗客に好かれる形に生まれ変わることを真剣に考えてほしいものである。(東京大学工学部教授)

 

常磐線に乗り入れる営団8000系 "77.9.3 "今井和彦

 

上野⇔取手間の移り変わり

 

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閲覧数190 カテゴリ常磐線 綾瀬、亀有、金町駅の差別的高額運賃をただす コメント2 投稿日時2020/01/09 18:49
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2020/01/10 18:17
    zosanさん
    鉄道ピクトリアル・・・中学・高校生時代から何年間か夢中になって読んでいました。
    その頃は他には鉄道模型趣味くらいしかありませんでした。時々別の月刊誌が発行されたことも有りますがいずれも短命に終わってしまいました。
    次項有
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