1,278万kW/1,881万kW (04/16 23:30)
67%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://hyocom.jp/blog/blog.php?key=306358
2020年03月14日(土) 
 真言宗御室派明通寺住職 中 嶌(なかじま)  哲 演(てつえん)さんの言葉に、多々、考えさせられた。語りをテキストにしてくださった方に感謝。

 以下、下記の文章(註)からの部分引用。
  
ナレーター:  托鉢で配る「鈴声」にどんな自分なりの思いやメッセージを込めていくべきか。中嶌さんの脳裏に浮かんだのは、高野山での修行時代、和歌山で参加したある平和行進でした。一九六三年の原水爆禁止世界大会に向けた平和行進。中嶌さんは、戦後二十年近くたっても、いまだに苦しむ被爆者の姿を目の当たりにし衝撃を受けました。被爆者の存在を忘れてはならない。そう胸に刻んだ中嶌さんは、「鈴声」の第一号に、「托鉢は広島、長崎に原爆が投下された日付、 六日と九日に行う」と記しています。「鈴声」には、平和行進の時、被爆者の一人から聞いた短歌も載せました。
 
死ぬる気で出征したる故郷(ふるさと)に
隠れ病む身となりて換(か)へりぬ
 
中嶌:  その行進に一人の原爆被爆者の方が参加されていて、平和行進の間中ピタッと私の横に付かれてね、その方はたまたま短歌を詠んでおられた方だったんですよ。私にとってはこれまた核の問題、平和の問題を考えていく上での原点になった出会いだった訳ですけど、ここに書いていますが、
 
死ぬる気で出征したる故郷に
隠れ病む身となりて換へりぬ
 
という。一日中その方は自分の戦争体験、被爆体験、被爆後のその日まで舐めてこられた苦しい状態、そういうものを切々とズーッと語り続けられましてね。「死ぬる気で出征したる」出征ですよ、征服に出かけて行ったんですよね、かつての日本の戦争は。故郷から送り出されて死んでこいと。お国のため、天皇のために命を捧げて来いとこういっていて、故郷の人々にまで、そうして送り出されて出ていった戦争。そこで散々海外で戦争体験した挙句、広島に駐屯しているときに原爆に遭うという、二重三重の凄まじい体験をなさった方でもあったわけですね。

・註:隠れ病む人々と歩む 真言宗御室派明通寺住職 中 嶌(なかじま)  哲 演(てつえん) http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-807.htm


◇追記
 「ベリア」といえば、スターリンの血の粛正を実行した人物として記憶していたが、こんな側面もあったんだ。

 以下は、下記の文章(註2)からの部分引用だ。

 スターリンの死後、ベリヤは、第一副首相に任命され、‥‥ ソヴィエト連邦下の非ロシア民族国家に対する、より自由な政策の実施を示唆した。(また、)東ドイツの共産政権に、自由経済と政体改変を許可するように勧告すべきであると、政治局員と閣僚を説得し、‥‥

・註2:ラヴレンチー・ベリヤ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%…A%E3%83%A4

◇追記2
 以下は、下記の文章(註3)からの部分引用だ。

「Smong」はシムル語で「津波」を意味しま す。その内容は、要約すれば「地面が動いたとき、また海面が下がり、潮が引いたときには速 やかに高台に避難しなさい」というものです。「Smong」は島に伝わる「Nandong」と呼ばれ る叙事詩によって受け継がれたこともあれば、子守唄に形を変え、美しいメロディーとともに 代々歌い継がれてきたときもありました。シムル島の住民たちは「Nandong」を集会の際に歌 ったりする他に、田植えや刈入れ時期の休憩時に、また漁業に携わる者は漁の際に口ずさんだ りしました。

・註3「先人の知恵に学ぶ防災 インドネシア・シムル島およびニアス島の事例」 高藤洋子(アジア地域研究所 特任研究員) https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/caas/qo…att/22.pdf

閲覧数293 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2020/03/14 13:55
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
南総の寅次郎さん
[一言]
人情、景観…寅さんが似合う南房総になって欲しい…。▼ Every person is a new…
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み