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2006年09月21日(木) 
「複数の主体が、目標を共有し、ともに力を合わせて活動すること」
表向きはそうですね。わたしはその状態に至るまでに、『協働』にとってもっと大切なプロセスが存在すると思います。

単に「目的を共有」して利用し合うのではなく、相互に信頼しあいビジョンを共有する関係づくりをすること。「志をおなじくする」というつながりを活動の中で実感し高め合うというのが、(日本人の)コラボレーション。協働のアクションが次の協働プロジェクトを生みだし、信頼が相互の関係性を深めたり、新たな信頼関係を広げる効果をもたらす。

この関係づくりには自発した仲間同士ではじめることが大切。決してお願いして入ってもらったり、名前で参加なんてしてもらわない。「志」がない人との形だけの協働は、その成果に魂を入れることはできませんし、新たな波を創り出すこともありません。足をひっぱる要因にもつながります。

『協働』の関係は、理念の契約関係ではなく、魂の共鳴関係でありたい。わたしはそのように考えています。

閲覧数4,359 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2006/09/21 06:40
公開範囲外部公開
コメント(3)
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  • 2006/09/21 08:10
    行政とNPOの協働は、NPO側はおのずとミッションを持って集まっていますが、行政側は、定期的な人事異動があり、事務方業務が主体のため、よほどの器の人物でないと、その事業に対してミッションを共有できませんね。
    また、ミッションを持ちすぎると、人によって温度差が生じすぎて不公平に繋がるので、もってはならないのかもしれません。

    本来の協働事業は、継続したミッションは民間が担い、単年度ごとの安定した事業管理を行政が担い、実際の事業は、行政とNPOがそれぞれの特徴を活かして分担して行うような体制が、バランスがいいのではないかと、思います。
    ミッションの部分は、議会が充分な役割を果たせば、できているはずなのでしょうが・・・
    次項有
  • 2006/09/21 09:14
    そうですね、組織間協働というスタイルがありますな。頼みの議会が機能していないので、行政にかかる負担も大きくなる。市民からの批判の矢面に立たざるをえない立場に追い込まれるので、どうしても「熱い施策」は打ち出しにくい..なんて悪しき連鎖の中にあるのだろうと思います。

    片やNPOの中にパブリックなミッションを担うだけの哲学、資金力、人材、ネットワークを持つ組織が果たして現有するかというと限りなくNOの世界。現状では限りなく空論に近い話かもしれません。その育成に尽力しておられる播磨夢路さんところのような中間支援組織の活躍が益々期待されるわけです。

    もうひとつのスタイルとして、個人と個人を基盤とした組織を動かす協働の仕組みが有効なのではないかと感じます。これは「ネットデイ」で実証されているモデルですが、それぞれ個々のの組織的な立場を持つ人たちが、まず個人としてビジョンを共有して協働を始め、次第にその背景にある組織や組織内の人材を巻き込みながら大きな成果を共有する。このプロセスを成し終えたときに、それぞれの間に強い信頼関係が残り、次の協働につながる。

    こうやって、ゲリラ的に草の根協働が繰り返されていくうちに、社会全体の協働に対する意識改革ができあがっていく..ように思えます。組織と組織のアプローチでは、染みついた仕事の文化もあって、なかなか本質的な意識改革に持ち込むのには、苦労するのではないでしょうか。

    おそらく現状を認識しながら、個人と個人、組織と組織の協働を平行して推進していかなくてはならないのでしょうね。
    次項有
  • 2006/12/28 22:31
    過去ログを読ませて頂いて、大変勉強になりました。特にSWTの理論は興味深い。早速Googleで検索し、GranovetterがRevisedした論文を発見。明日からの正月休みに読もうと思います。ここで読み取りたいのは、SWT理論が、Labor marketだけの理論なのかどうか。SCで言う「信頼関係」は、Weak Tiesではどうなのか。僕の理解では、SCで求められる絆は、Weakなもので十分なはずです。見ず知らずの他人同士でも、共同体の基盤として、あるいは前提として、「信頼」の二文字が規範化されている社会。これがSCのはずです。そうでなければ、「強い紐帯」は結局のところ、非常に狭い共同体内でしか通用しない。「協働」の範囲を限定し、狭めてしまう。しかし、一方で、「市民社会」は、「市民の多様性と個性」を特徴としています。100人いれば、100人とも意見や考え、夢が違う。この100人の間の「信頼」をどのレベルで構築しうるのか。意見や夢の「違い」を前提にしたうえで、「協働」あるいは「信頼」が如何にして可能か。この二律背反が問題の本質です。市民社会の発展、個人主義の一般化がSC衰退の背景でもあるわけです。その状況下で、いかにSCを高めうるのか。その意味で、「ひょこむ」は、参加者の多様性を前提にしながら、それ自体はWeakだけれども、参加に伴うルール、規範を明確にすることで、1300人の間に「信頼関係」を構築するという、一つの答えを与えています。あるいは、地域ビジョンでいう「夢の共有」の基本にあるのは、「他者の夢の受容」です。自分の夢を実現したければ、他人の夢も受容しなければならない。足を引っ張り合うのではなくて、相互に支えあう関係を築く。結局、ビジョン委員会も全体として見れば、Weakなネットワークでこそ機能しうると考えます。もちろん、「ひょこむ」にしろ「ビジョン委員会」にしろ、その内部に、強い絆のグループが生成し、発展していくことを否定するものではありませんが、「一般的な枠組み」としては、Weakなもので良いのではないかと考えます。
    次項有
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