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2021年01月05日(火) 

1月24日(2005年)、ベトナムの旅 3日目になりました。

 

この日はべトナム戦争当時の<クチの地下トンネル>観光の後,
飛行機でベトナム中部のダナンに移動します。

途中には大した観光地は無いようです。

 

 

午前中はクチの地下トンネル観光です。今日もバスで移動です。
昨日と同じ70キロの移動ですが、今日は北西の方に向かいます。

 

観光後ホーチミンに戻り、昼食を済ませホテルに戻った後2時間ほど自由時間が有ります。
その後、一昨日到着した空港に向かい今度は国内線に乗って1時間の飛行で ダナン に向かいます。

 

 


2時間近くバスにゆられ、クチに付くとすぐに地下トンネルの観光です。


ベトナムはフランスによる占領から脱し独立したのに、
アメリカ支配の南ベトナムとソ連・中国により支配される北ベトナムに分断されていました。

 

南ベトナムの政策・体制に不満を持つ人たちが<南ベトナム解放民族戦線>を結成し、南北統一を図ろうと政権に対し戦いを挑み内戦状態になったのです。

南北に分かれていたベトナムの、南と北が戦った戦争と言うより南側の政権に反対する人たち(南ベトナム解放民族戦線)と南政権の戦いだったようです。

 

 

 

まず、日本語版のビデオによりクチの街や地下トンネルの説明が有ります。

 

地下トンネルは南ベトナムの首都サイゴンやその近くのクチなどに解放軍が掘ったもので
総延長は250Kmに及ぶのだそうです。

  

 

観光するのはその一部です。

 

 


地下トンネルの出入り口、人が通れるぎりぎりの大きさの口です。
むき出しになっていますが当時は草木や枯れ葉などで覆われ
外からは全く分からないように隠されていたそうです。

 

 

 

こんな出入口も有りました。
これも、もちろん当時は外からは分からないように隠されていました。

 

 

 

これも人がやっと通れる大きさの出入り口です。

 

 

 

平地にも枯れ葉や草などで隠された出入口がたくさん有り、
観光客のため人が地下から蓋を持ち上げて見せている所も有りました。


この穴も人がやっと通れるくらいの大きさです。

 

 

 

地下トンネルに、観光客が入れる部分も有りました。
観光用の入口は大きな開口に改造されていて中には階段も作られています。

 

 

 

トンネルの一部は掘り広げられ、通りやすくしてあると言うことです。


中に入ります。

一部照明されている(? あるいは近くの出入り口の蓋を開けて外の光を入れている?)所も有りますがほとんど真っ暗、当時は全く照明など無かったのでしょう。

 

入口は観光用に造られているのですんなり入れますが、中はそうはいきません。
とても狭いです。

 


中腰で歩きます、立って歩くことなどできません。

所によっては四つん這いになりたいくらい低い所もあり、あまりの窮屈さに中に入ったのを後悔するひと時も有りました。

 

100メートルコースと30メートルコースが有りましたが

私は30メートルコースに入りました。

 

それでも、外に出た時はほっとしました。
こんな中に長いこと隠れていたゲリラの兵士たちはさぞかし大変だったことでしょう。

 

 

 

250メートルにも及ぶこの地下トンネル、重機などもちろん掘削機なども有りません
すべて手作業で掘られたものです。

 

使われた道具は、こんな程度の物だったそうです。

 

 

 

地下トンネルは、解放軍が隠れてゲリラ活動の拠点としていたのですが
トンネルの他に落とし穴(わな)もたくさん仕掛けられていたようです。

 

落とし穴を見学できる所もありました。

当時の解放軍の服装をした係員が落とし穴の中を覗いている情景です。
このように開口部が大きいのは、地下トンネルの出入り口ではなく落とし穴だからです。

 

 

 

落とし穴の外側は枯れ葉や草などで覆われ周囲の地面と変わらぬように偽装されていて、
人が乗ると蓋の板がくるりと回って、人が穴に落ちるようになっています。
普通の落とし穴と同様です。

 

 

その下には活け花の剣山を大きくしたような槍のように鋭い棒が何本も立っていて
落ちた人はこの棒に突き刺さって命を落とすという怖い落とし穴です。

 

 

 

このような戦争の残骸を見ると平和なことがとてもありがたく思えました。

 

 

 


地下トンネル見学の後はお土産店などを覗いたり、お土産品などを作っている所を見学しバスに戻ります。

 

 

 

 

 

 


閲覧数386 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2021/01/05 20:47
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2021/01/06 10:07
    kazu---さん
    詳しく長い紀行文を読ませていただきました。ありがとうございます。
    強行軍の1日でしたね。
    戦跡の見学は胸が痛くなったことでしょう。落とし穴とはまるで戦国時代の仕掛けですね。それを50年前に使っていたとは・・。
    私が中学生~高校生の頃ですからね。
    北爆のニュースを毎日のようにやっていた記憶があります。
    旅番組などでベトナムの様子を見ますが、復興が進んでいるようなので安心します。
    次項有
  • 2021/01/06 13:56
    鉛筆zosanさん
    > kazu---さん
    大変ありがとうございます。

    南ベトナム解放軍と言うのは政府がお金をかけてやっている戦争と違って、貧しい民間人が政府に反抗して戦った戦争なので資金面の後ろ盾が全く無かったのだと思います、地下トンネルを掘ったのも手作業、日常の資金をどうやって調達したのか分かりませんが普通なら戦いにならない戦いだったと思います。北ベトナムからの支援が有ったのかどうか分かりませんが、南政府を倒したいという思いが北ベトナムの思惑と一致した結果、最後に諮ったのだと思います。
    次項有
  • 2021/01/06 22:00
    ベッガさん
    義兄(亭主の姉の夫、今は故人)が60年代のベトナムで米国の国家公務員として働いていて、多くの同胞を失いました。道を歩いていた米国人グループが、向こうからやってくる稲藁をかかえたベトナム人農夫とすれ違ったとたん、そのベトナム人が藁の中からマシンガンを取りだして撃ちまくった。以来、ベトナム人を見ると片っ端から殺すようになったそうです。まさに悪夢の時代。この戦争の賠償はどうなっているのでしょうね。
    次項有
  • 2021/01/08 16:41
    鉛筆zosanさん
    > ベッガさん
    賠償問題については全く分かりませんね。
    アメリカ軍は北ベトナム(? ソ連?)と戦って負けたことになるのでしょうが、南ベトナム国民である解放軍とも戦っているわけですね。
    正規の南ベトナム軍はどうなったのでしょうか・・・???

    そこまで知ろうとも分かろうとも思っていませんが。。。
    次項有
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