ミーソン遺跡は山奥のジャングルの中に有る大規模な遺跡で
1890年に電話線工事中のフランス人によって発見された物だそうです。
7世紀から13世紀にかけての遺構が残っており
修復が進められているそうですが、盗掘され美術品の多くが失われたり
ベトナム戦争時にアメリカ軍の空爆により多くの遺跡が破壊されたりしたのだそうです。
バスが到着したようです。
しかし、ミーソン遺跡至近の場所まで大型バスは入れません。
かなり手前でミニバスに乗り換えです。
乗り換えてから更に3キロ先まで走ります。
そしてここからはもう車では行けない、と言う所で降りて「やっと着いた!」
と思ったら大違い、そこは未だ遺跡にたどり着いていない所でした。
さらに15分、20分歩いてやっと入口にたどり着けるのだそうです。
そう、こんな橋では軽自動車だって渡れそうも有りません。
インターネットで見ると、今はこの橋は立派なものに架け替えられているようです。
また、この先の区間は電気カートで移動することが出来るようです。
しばらく歩くと今度こそは到着?
案内看板が有りました。
写真では文字がぼやけてしまっていますが、一番左下の隅に
ピンクと白い部分が有ります。
ここに<WE ARE HERE>と書かれています、スタート地点です。
遺構はあちこちに建造されていて、いくつかのグループに分けられています。
Group A から Group L までが画面に見られますが、I と J が見つかりません。
山の上などに有って行くことが出来ないところも有るようです。
整理されている遺跡の方に進んで行きます。
レンガ積みのあまり大きくない搭状の遺構が見えて来ました。
レンガ積みの塔がいくつも有るのですが
どの搭にも草がぼうぼうに生えています。
修復もまだ草抜きまで手が回らないのでしょうか。
ガイドさんが説明してくれるのですが、
今のようにイヤホンガイドなど無い時代です。
写真を撮っているとガイドさんについて行けなくなって
何が何だか分からなくなってしまい、
目に入った遺構を撮影して追いかけて行くだけになってしまいました。
地図の真ん中辺ちょっと右寄りに Group B、C、D が集まっているところが有ります。
私たちは、どうやらその辺にいたようです。
インターネットで見つけた写真と合致する遺構が有りました。
これは、Group B の宝物庫のようです。
これを別のアングルから写した写真です。
この建物より小さいですが同じような形状をした建物も有ります。
何の建物か分かりません。
似たような形の建物がいくつかありました。
少し移動した場所です。
何の建物でしょうか、分かりません。
大きく重要な建物の門、と言うか玄関と言うか・・・。
この裏に、ここを通り抜け一旦外に出て
また階段を上がって入る別棟の一部が残されていました。
遺跡の観光を終わっての帰路 修復中の遺構が有りました。
かなり大きな建物のようで、雨でも作業できるよう仮屋根に覆われています。
この遺構の正面玄関に当たる部分でしょうか。
かなり大きく立派です。
これでミーソン遺跡の観光は終わったのですが、
旅行案内にもツアーの日程表にも書かれていた
<ベトナムのアンコールワット>とはどういう意味だったのでしょうか。
添乗員さんのもガイドさんにも聞き落としましたが、
全くアンコールワットらしいところは有りませんでした。
このツアーの時はそんなこと知らなかったのですが、
アンコールワットは色々な遺構が集まっているものではなく
一つの建物にに収まっている大きなお寺です。
ミーソン遺跡は小さな遺構がたくさん集まっている所でした。
何故<ベトナムのアンコールワット>と呼ばれているのかいまだに不明です。
インターネットのどのサイトにもそんなことは書かれていませんでした。
強いて言うならば<ベトナムのアンコールトム>と言った方が
まだちょっとは近いかもしれません。