19日のブログにベッガさんから
> かつてベトナムに住んだ日本人はどういう人達だったのでしょうね
と言うコメントを頂きました。
https://hyocom.jp/blog/blog.php?key=313350
歴史に弱い私は、
当時ベトナムに日本人が住んでいたことなど知るよしも無く、
もちろんその理由も知りませんでしたので、
インターネットで見ることが出来る程度に簡単に調べてみました。
そのブログの主題の日本橋が出来た16世紀ごろ
ベトナム・ホイアンは世界の貿易の中心的存在で
清(中国)、日本、ポルトガル、スペインなどと
かなり大がかりに貿易をしていたようです。
中でも、中国、日本からは大勢の商人が現地を訪れ
そして住み、現地に溶け込んでいったようです。
当時の貿易は大変盛んで、ベトナム最大の貿易港ホイアンには
中華街、日本人町が形成されていたそうです。
中華街は、東南アジア初め世界中何処でも有るので大して珍しくも有りませんが
日本人町はどこにでも有るわけではなく、ベトナムに有ったのは珍しく
交易の規模も大きかったようです。
簡単すぎて申し訳ありませんが、
当時たくさんの日本人がベトナムに住んでいたのはこういう理由からだと考えます。
ツアーの時、特にそのような話は無かったのですが、
日本人のお墓を一か所訪ねたのです。
ホイアンには今でも3人の日本人のお墓が有り、
現地の人たちに大切に守られているのだそうです。
ツアーで訪ねたのはその内の一つ 谷弥次郎兵衛 と言う人のお墓です。
これと言って何もない田んぼの中にポツンと有るだけなのですが、
400年以上昔の日本人のお墓が現地の人たちに守られて
保存されていると言うことは感無量でした。
このお墓について詳しいことはほとんど分かりませんが、
自動車が走る道路にはお墓の場所を示す看板が立てられています。
お墓にはいくらか草が生えていますが、かなり良い状態に清掃されています。
お墓の近くには谷弥次郎兵衛の事をいたって簡単に書いた石碑が建っています。
ただ、彼の仕事の成果などには一切触れられておらず、
最期の一つの事実だけしか書かれていません。
もしかして没後何年も経って書かれたことで、
詳細は何も分からなかったのかもしれません。
でも、このことは現地の人たちにとって心を打つ大切なことだったのかもしれません。
碑文にはこのように書かれています。
1647年、日本の貿易商人谷弥次郎兵衛(たにやじろべ
え)ここに眠る。
言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って
日本に帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に会いた
くてホイアンに戻ろうとして倒れた。
この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。
この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄してい
た当時、日本の貿易商人と当地の市民との関係が大変友好的
であった事の証である。
この石碑がいつ建てられたのかは分かりませんが、
かな遣いが第2次世界大戦終戦後の新仮名遣いの感じですし、
同じく当用漢字が使われている(例えば 彌が弥、國が国になっている)ので
昭和中期以降に建てられたもののように感じます。
もしかしたら、数百年の間に劣化して新しいものに建て直したのかもしれません。