関西国際空港ができるずっと前に、『はりまに空港を!』という合い言葉の下、網干(姫路)沖に空港を建設する計画が進んでいました。 中心になったのは、当時の姫路青年会議所の若者たちで、故郷の経済的・文化的・世界的な発展を願った活動でした。 この活動は地元経済団体だけでなく、行政・議員・地域社会を巻き込んで大きな運動に育ちましたが、どこでどう間違ったか環境破壊が危惧される広峰山上に予定地が変更になり、議論百出の中で「神戸沖空港」にその座を奪われてしまいました。 その後、神戸沖空港が環境への影響を懸念する神戸市民から「NO」を突きつけられ、当時の運輸省は怒りを抑えながら泉州沖の「関西国際空港」建設へと舵を切りました。 ご存じの通り、再び建設された神戸空港マリンエアは、長く国土交通省から理不尽な冷や飯を食わされています。 夢のエアポートが実現していたらどうなっていたか。 これからの若者たちには、空港に変わる世界とのゲートウェイを創り上げてもらいたいものです。 尊敬する東海健生先輩と成井次郎先輩に、この拙文を捧げます。 |