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2021年11月29日(月) 

高野山・金剛峯寺の信仰の中心で空海(弘法大師)が禅定に入るという御廟所のある聖地が奥之院。一の橋から御廟まで2kmの参道を歩くのが正式の参拝路です。

 


空海(弘法大師)は、肉身をこの世にとどめて深い禅定に入り、救いの手を差し伸べているという入定信仰があります。

空海は決して死んでいるわけではなく生死の境を超え、はるか未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するまで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入っているというのが入定信仰です。
そのため、奥之院では、維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が1日2回、御廟の空海に衣服と食事を届けています。

 

 

一の橋は、御殿川(おどのがわ)に架る橋で、ここからが霊域。一の橋は通称で、正式名は大渡橋(おおばし)です。
弘法大師は参詣する人々を、ここまで送り迎えしてくれると言い伝えられ、一礼してから橋を渡るのがしきたりです。

 

 

高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっています。
これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるというから驚きです。

 

 

「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えました。
ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れる高野山の懐の深さを体感できました。

 

 

続いて身を清める中の橋があり、正式名は、手水橋(ちょうずばし)。
流れる川は、金の河と呼ばれていますが、金は「死」の隠語、つまりは三途の川を意味しています。
中の橋が現世と来世の境で、中の橋を渡ると、これから先は、死の世界ということになります。

 

 

最後に玉川に御廟橋が架けられていますが、橋を渡る人は、橋の前で服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちで霊域に入ることになります。
36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表し、ここから先が浄土ということに。

ちなみに日本三霊橋は、日光東照宮の神橋(栃木県日光市)、立山・芦峅寺の布橋(富山県立山町)と高野山一の橋です。

 

 

奥之院を参拝したあと、一行と別れた小集団はショートカットルートで中の橋停留所へ。
南海りんかんバスで高野山駅に到着すると、運良く「特急こうや」と接続していたので、特急料金を払ってゆったり難波までの帰路につきました。


閲覧数91 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2021/11/29 10:38
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