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2021年12月17日(金) 
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなられた同じ月の末に、大家さんも寂静という名前を頂いて旅立った。ジャクチョウとジャクジョウ、漢字も仮名も一字違いだ。

思えばお腹の中も入れると、大家さんとは65年の付き合いになる。記憶は定かでないが、幼児の頃から小児針に連れて行かれたような気がする。私は夜泣き、疳の虫がひどく、生まれた時から反抗期だったのかもしれない。

うっすら覚えているのは5歳の頃。地元の神社で七五三行列のようなものがあり、顔を白塗りにされるのが嫌で、最後まで抵抗した。その結果、一つ下の弟が白塗りにされた記憶がある。

とにかく大家さんは素直というか、真面目というか、単純とも言えるが、人に影響されやすい人だった。子供の頃からいろいろな宗教、健康食品、漢方薬、ありとあらゆるものを強制させられた。ピアノなんか5本しか指がないのに、ラシドはどうやって弾くんだとか屁理屈言って止めてしまった。

中学進学もそうだった。大家さんから見ると、私は親に反抗する理屈っぽい小学生だったのだろう。学生運動が盛り上がっていた時代である。このままこの子が地元の公立中に進学すると、全学連になると思い込み、縁もゆかりも無い京都の私立中学に進学させられた。この時は、小学校の担任まで巻き込んで、無理矢理決められてしまった。しかし、そのおかげで、今の自分がある。良い友人にも恵まれ、好きなことができて、感謝している。結果として、大家さんも晩年は京都で過ごすことができ、良かったのではないだろうか。

結局、最後は20年も隣のやまむらさんと同居した。が、大家さんにはブラックとホワイトの二つの人格があって、ブラックの時は大変だった。「私は昔からあんたとは気が合わんのに、なんで私と一緒に暮らそうとするのか」「この、ごんたくれ」「出て行け!」という罵詈雑言の嵐が吹きまくった。

信心深い大家さんは、毎月1日は吉田神社、2日は下鴨神社、そして25日は大谷祖廟(東大谷)と京都に引っ越してからは参詣を続けた。歳を重ね、足腰が弱ってきても、許可をもらって吉田山の上まで車で行かせてもらった。東大谷も裏門まで車をつけさせてもらった。やがて、お参りも遠慮するほど足腰は弱ったが、吉田神社だけは参詣を欠かさなかった。

10月に月参りを済ませ、駐車場までお世話になっている禰宜さんに送ってもらった時だった。車の窓を開けて挨拶をする時、いきなり手を伸ばして、「先生、握手」と禰宜さんに握手を求めたのだ。何十年とお参りに来ているが、初めてのことで驚いた。結局、それが最後になってしまった。

11月の最後の月曜日、楽しみにしているデイサービスをしんどいから休むという。それで、嫌がる大家さんをなんとか近所の医者に車で連れて行ったのが午前診療の終了直前だった。前から良くなかった腎臓の数値がビックリマークが出るくらい悪かった。それより脱水症状を起こしている。すぐに経口補水液を買ってきて飲ませるようにと言われる。これが飲めなかったら、点滴、もしくは入院を覚悟しなければならないと警告された。

ところが、病院嫌いの大家さんはゴクゴク「美味い」と補水液を飲むではないか。夜になると落ち着いてきて、元気そうで、普通に会話もできた。安心して早めに寝かせ、翌朝もスヤスヤ寝ていたのだが。9時過ぎに急に息が荒くなり、呻き声まで出すようになった。昨日受診した医者に電話して、病院を紹介してもらい、救急車を呼んだ。

実は3年程前にも脱水症状を起こし、病院で点滴を受けたことがあったので、今回も軽く考えていた。私はオンライン授業があるので、隣のやまむらさんに病院まで付き添ってもらった。そして、授業開始10分程前に電話が入り、「大家さんが亡くなった」と知らされた。「ウソッ!」としか言えなかった。

それからはジェットコースターに乗せられたように時間が過ぎていった。が、困ったのは遺影に使う写真だった。実は以前に「この写真」と言われて、渡された記憶があるのだが、親不孝者はそれをどこにしまったか完全に失念し、みつからない。年をとって一段と写真嫌いが激しくなったので、まともな写真がどこにもない。やっと見つけたのはデイサービスで撮ってもらった去年の誕生日会写真だった。

紺に白の水玉が入ったお洒落な服に笑顔の写真。これしかないと思った。後からわかったことだが、その紺の服は我が家の下宿人、姪っ子(孫)がプレゼントしたものだったという。姪にとってはプレゼントしたものの、着ているところを見たことがなかったので、きっと箪笥の肥やしになったものと思っていたらしく、遺影を見て号泣してしまった。

最後は慌ただしく駆けていったが、大家さんの91年と8か月の人生はどうだったのだろう。喜びも悲しみも数多く繰り返しただろうが、大往生で終えることができたと思う。私にとっては、亡き父に託されたミッションを無事に終えることができてホッとしている。親の言うことを聞かない親不孝者と散々怒鳴られてきたが、逆縁という最大の親不孝だけはせずに済んだ。

大家さんは緊張しいで、時々とんでもない大失敗をする。昔々着物の着付けを習いに行った学校で、卒業式に一人ひとり壇上で挨拶するのだが、その時、自分の名前を間違えて、前の人の名前を言ってしまったことがある。だから、心配している。閻魔様の前で「ジャクチョウ(寂聴)です」なんて言ってないだろうか。 合掌

閲覧数264 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2021/12/17 18:57
公開範囲外部公開
コメント(2)
時系列表示返信表示日付順
  • 2021/12/19 12:26
    悲しみをご縁に ナンマンダブ ナンマンダブ
    次項有
  • 2021/12/19 17:34
    鉛筆互福店さん
    > 本荘ケイさん
    ありがとうございます。
    突然でしたが、大往生でした。
    近所は高齢者が多く、歩行器押してトコトコ歩いてる
    おばあさんを見ると、つい思い出してしまいます。
    なんで年をとると、みんな似てくるんでしょうね。
    次項有
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さだまさしからさをとったら「だまし」だ。
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