京都新聞の記事に誘われて、昔の思い出を投稿しました。この投書が掲載された5月16日は、いつものように友人のA君が真っ先にLINEで知らせてくれました。実は、その時、どっちの投書が載ったのだろうと思ったのです。 なぜなら、3月に葵祭に関すること、4月に中国人留学生の寮についてと、二つ送っていたからです。雨天順延になった葵祭当日の新聞だから、密かに3月の投書を期待していたのですが、ボツでした。ボツはこのブログの前にアップしています。では、思い出話をご笑覧ください。 * * * * * * * そこは京の街中に突如現れた異空間だった。もう30年以上も前の話だ。 中国人留学生の親友に頼まれて引っ越しを手伝った。彼ら専用の部屋代格安のその物件は、今出川通から坂道を少し上った所にあった。戦前の建築だというその建物には立派な玄関があり、中に入ると、雑然と物が置かれ、多くの中国人留学生たちが日々勉学に励み、友情を交わし、暮らしていた。 4月22日朝刊に「廃墟状態の留学生寮、危険物を除去する工事始まる」として光華寮の記事が出ていた。今は「廃墟」としてユーチューバーなども採り上げているこの寮だが、かつてここは青雲の志を抱いた多くの中国人留学生たちが集う夢の城だった。 あれから30年余、あの若者たちは故国に帰り、もう定年後の隠退生活を送っていることだろう。中には私の親友のように母校の教壇に立ち、日中友好に尽力した人も多いはずだ。 そんな彼らの夢の城が、今は廃墟となって消えていく。光華寮は所有権を巡って中国と台湾が争っているという。しかし、それは抜きにして、日中友好の中国人留学生寮という先人の思いは継承していってもらえないだろうか。 |