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2006年12月07日(木) 
昨夕、久しぶりでナマの演奏会を聴きに大阪へ行きました。
大阪アカデミー合唱団の 「オラトリオ定期シリーズ」 の5回目で、曲目はバッハのヨハネ受難曲でした。先日、この合唱団で歌っている友達から 《聴きに来て》 という電話があった演奏会です。管弦楽は飯守泰次郎率いる関西フィルハーモニー、ほかに独唱者が5人でした。

会場のザ・シンフォニーホールはほぼ満席、団員からチケットを売りつけられた人 (僕もその一人) も多いかと思いますが、客席が埋まっているというのは、演奏者も力が入っていい演奏ができるし、聴いている方もいい演奏が聴けて幸せです。
演奏は期待以上の出来でした。もちろん飯守の指揮によるところが大きいのですが、独唱者のうちテノールの西垣俊朗が光っていました。ご存知の方もあると思いますが、 「受難曲」 というのは新約聖書の福音書 (この場合はヨハネ福音書) に書かれた物語をカンタータにしたものですから、物語を進行する 「エヴァンゲリスト」(語り手) が重要な役割を持っています。西垣は、エヴァンゲリストとして2時間ほどの演奏中ほとんど出ずっぱりでしたが、みごとに歌いきりました。彼は、予定されていた歌手が体調不良のため急遽起用された代役だったので、余計にその名演が印象に残りました。

大阪アカデミー合唱団もよく歌っていました。アマチュアの合唱団ですが、第九の演奏会によく見られるそのときだけの 「急拵え」 の合唱団に比べると、非常によく訓練されていて、この日も1年間の練習の成果が表れたいい演奏でした。

最後のコラール (ドイツの賛美歌) が終わったとき、名曲の名演奏を聴いたときの快い疲労感が僕の体を包みました。やっぱりナマの演奏はいいものです。
《石原さん (友達の名前) 、いい機会を与えてくれてありがとう》 と心の中で礼を言いました。

閲覧数1,929 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2006/12/07 09:38
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コメント(3)
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  • 2006/12/07 15:50
    いやあ、うらやましいです。
    私はもう何年もクラッシックコンサートに行ってないですなあ。

    実は私は、龍野青年会議所に在籍しておりました時に、「西播磨交響楽団」の立ち上げをサポートしたことがあるのです。
    これは素人ばかりの集団ですが、龍野で「童謡作詞作曲コンクール」の事業の、これまた立ち上げに関わっていたときに、山本直純先生(もう亡くなられましたね)と恵比寿で酒を(もちろんエビスビール。電車を改装したレストランでした)飲んでいると(「平成元年の序曲」の発表会前日でした)、ふいに先生が、
    「ヨーロッパには地方都市でも市民レベルで、交響楽団があるんだよ」
    という話をしてくださったのでした。
    私はその時、よし何とかしてみよう、と無謀にも思ってしまい、ついに事業の企画を提案したのでした。

    ところがなかなか人頼みでは進展しなくて、業を煮やして、私が理事長のとき(それがやりたくて受けたようなものですが。1996年でした。いいでしょう?音符のように見えませんか?)に、強引に、デビューコンサート、第一回定期演奏会をやってしまったというわけです。
    やれば出来るじゃないか、ということですが、今でも健在で定期演奏会をやっています。
    今や私は会費を納めているだけですが、財政状態はやはり厳しくて、立ち上げの頃は、いわゆるメセナに期待していたのでしたが、バブル崩壊とともに、甘い期待は消えました。
    そのことを突かれると、とても申し訳ない気分になりますです、はい。
    でも団員さん達はよく頑張っているようです。あのころからは、だいぶメンバーも入れ替わっているでしょうけど、演奏するのが三度の飯より好きという人達の情熱ですね、存続のエネルギーは。

    それにしても、演奏家の人達というのは、たとえプロであったとしても、一部の演奏者を除けば、なかなか食べていくのが大変みたいですね。

    ・・・すみません。なんか脱線してしまいました。どうも。
    妙なところに話が反れてしまいました。
    でも、天才であり神様のようなモーツァルトですら、大変な生活苦があったというのですから、芸術の世界は恐ろしい。
    コンサートには出かけられなくとも、家でたっぷりCD聞いている私は幸せです。
    という結論、で締めましょう。
    どーも、長々と失礼しました。

    次項有
  • 2006/12/07 18:14
    鉛筆jamjamさん
    やっちゃんさん、直純さんと一緒に酒を飲んだなんて、いやー羨ましいなぁ。僕なんか、有名な音楽家と同席したことなんか一度もありませんよ。

    そう言えば、昔20代のころに東京文化会館へイタリア・オペラを観にいったときのことです。後ろからきれいな声が聞こえるので、振り向いてみたら3列ほど後ろの席に伊藤京子さんと栗本尊子さんが並んでおしゃべりされていました。さすがに一流の歌手というのは、地声でも美しいんだなと感心したことを覚えています。このお二人、当時の日本を代表するソプラノとメゾ・ソプラノだったのですが、若い人はご存じないでしょうね。有名な音楽家を間近に見たのは、後にも先にもこのとき一度だけです。
    次項有
  • 2006/12/07 19:21
    そういう思い出なら、
    (決して自慢で言うわけではないですが)故人ですが、中田喜直先生(「雪の降る町を」や「夏の思いで」の作曲家の事務所には5,6回は行きました。食事をおごってもらったりもしました。

    あと「お話し指さん(?という曲名だと思うのですが、このゆびパパ、ふとっちょパパ、とかいうやつですが)」を作曲した湯山昭先生とか、あ、それから、今をときめく凄い人を思い出しました。

    韓国ドラマ「冬のソナタ」で有名になったピアニスト倉本・・・?なんとかさん(ど忘れしました)。昔私達が「童謡コンクール」でお目にかかっていた頃は、北野実という名前で、バンドリーダーだったのですよ。
    「北野君に編曲を頼むことにしましょう」
    なんていつも中田喜直さんはおっしゃっていました、そう言えば。

    もう二十年前から十年間に渡る、十年前の貴重な思い出ですね。いやあ、話のついでに回顧してしまいました。
    次項有
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