馬糞紙というものをご存知でしょうか。知っている人はかなりのお歳と見受けられます。
今朝5時台のラジオを聴いていたら、沖縄からの話題で、『沖縄の動物園に何十年間いなかった象がやってきた』という話がありました。この話題の中心は、象のいない動物園があったということではなく、象の糞から紙をつくっているということです。
この話を聞いて、すぐに思い出したのが馬糞紙だったのです。
馬糞紙というのは、馬糞で出来た紙というわけではありません。明治時代、文明開化によって洋紙の製造が行われるようになりましたが、パルプの材料に木材の代替品として稲藁や麦藁を使った紙がつくられました。つまりわら半紙ですが、これを別名馬糞紙と呼んでいたのです。
この言葉は僕が子供のころには既に使われなくなっていましたが、漱石の小説の中で使われているのを発見したとき、《なかなか上手い表現だな》と感心したことを覚えています。表面の模様がまさに馬糞そのものだったからです。市井の話し言葉を多用する漱石の小説に出てくるということは、明治時代には広く一般に使われていたものと想像されます。
沖縄の動物園で象の糞からつくられている紙は名実共に象糞紙と言ってよいでしょう。もちろん紙質は悪いでしょうが、メモ用紙やチラシ広告、詰めもの用の紙としては十分に使えるでしょう。
草食動物の糞には多量の植物繊維が含まれているから、紙をつくることは可能です。競馬用の馬の糞から本当の馬糞紙もつくれるでしょう。あとはコストの問題だけですが、省資源という意味では研究の価値があると思います。
紙の消費量では、日本はアメリカ、中国と共に群を抜いています。いま問題になっている再生紙をつくるのにも何割かの天然パルプを使います。天然パルプの大半は発展途上国の森林から供給されます。それが地球の砂漠化、ひいては温暖化につながるとも言われています。
木材以外の植物の利用や象糞紙、馬糞紙の研究は必要ですが、それよりも大事なことは紙の大量消費を抑えることではないでしょうか。