昭和19年完成って、すごい昔ですよね。
よくこんな斬新なこと考えたなーって、感心します。
材料の鉄鋼もよく手に入りましたね。
すごいですね。
前回に続いて橋の話です。今回はトラス橋ですが、団塊世代以前の人には 「鉄橋」 と言った方が分かり易いかもしれません。鉄(鋼)でできていても桁橋を鉄橋と呼ぶ人はほとんどいなかったと思います。鉄橋がトラス橋の代名詞となったのは、視覚的に目立つ存在であることと、目にする機会が多かったからだと思います。 トラス (truss) というのは、細長い構造材(鋼材や木材)を3角形に組み合わせた構造で、桁構造では難しい大スパンを可能にする構造として、橋梁ばかりでなく建築の梁や屋根組みなどにも広く用いられています。トラス構造は、大スパンになるほど、桁構造に比べて軽量でたわみが少ないという特徴を持っています。 このように大スパンに適したトラス構造は、19世紀までの橋梁には広く用いられました。特に1890年に完成したフォース橋(スコットランド)は、中央スパンが521mもある鉄道橋です。しかし20世紀に入ると、進化した(連続桁など)桁橋や鋼アーチ橋でトラス橋と同等スパンの架橋が可能になり、道路橋の場合は用いられることが極端に少なくなりました。特に戦後になって、桁橋では「合成桁(桁と床版が一体となって働く構造)」や「箱桁(断面がロの字形になった桁構造)」が一般化し、斜張橋が出現するに及んでトラス橋の出番はますます減ってきました。とは言え、フォース橋クラスのスパンになるとトラス橋の優位性はいまも健在で、1974年に完成した阪神高速道路湾岸線の「港大橋」は中央スパン510mという、カナダのケベック橋、フォース橋に次ぐ世界第3位のトラス橋です。 ここでちょっと変ったトラス橋を紹介しましょう。大阪市の西区と此花区を結ぶ「安治川トンネル」です。《トンネルが何で橋やねん?》 という声が聞こえてきそうですが、これは安治川の下をくぐる河底トンネルなんですが、構造はれっきとした橋梁なのです。下の図を見てもらえばお分かりいただけると思いますが、このトンネル部分は、トラス構造の箱(沈埋トンネル)が両岸の水底に設置された基礎で両端を支えられているのです。 このトンネルは戦争真っ只中の昭和19年に完成しているのですが、そんな時代によくもこんなことができたものだと、驚くほかありません。技術的にも、地盤の悪い大阪西部に適した橋梁形式のトンネルを考えたこと、そして、自動車が乗れるエレベーターを設置したこと、さらにはその基礎の施工に「圧気潜函(あっきせんかん)工法=地下水の湧出を防ぐために函の中の気圧を高めて掘削する方法」という最新の技術を採用したことなど、すべてが画期的な工事だったのです。なお、このトンネルは、交通事情の変化によって、現在では歩行者と自転車だけに利用されています。 画像は、左から港大橋、フォース橋、安治川トンネル |