同感です!
情報を毎朝届けてくれる人、しかし一方ではあふれかえる情報に翻弄されています。
私もチラシフェチでは有りませんが、結構業界の戦略等が垣間見えて面白いですね。
午前4時になると、毎朝決まってバイクの音が遠くから少しずつ近づいてくる。雨の日も風の日も、新聞配達のおじさんは(休刊日以外は)休まずに、我が家のポストに新聞を届けてくれる。テレビやインターネットなど、いろいろ情報収集の手段があるが、じっくりと読み込める新聞というメディアはやはり離れられない。「見る」「聞く」ではなく「読む」という作業が、脳に与える効果がいろいろとあるのだろう。 毎朝恒例になっている朝刊ピックアップだが、土曜の朝だけは普段の日と少々違う気分になる。決して前日に阪神タイガースが負けたからではない。新聞の束が異様に重たいのである。そう、ほとんどは本紙に挟み込んである「チラシ」の重量だ。昔はこんなにたくさんの、そして豪華で大きなチラシが折り込まれていただろうか。盆正月の広告は多かった記憶があるけれど、毎週土曜がこうなったのは、ここ10年くらいのような気がする。 暇なわけではないが(笑)、今朝配達されたチラシを分類して見た。大小あわせて39枚。土地・住居(14)、電化製品(7)、食料品・飲食店(5)、衣料(4)、家具・本・眼鏡(4)、車(2)、携帯・本・ゲーム(3)という結果。土地・住居がいつも多いわけではなく、同業者は口裏を合わせたかの様に同じ日に入ることが多い。また月曜日のチラシは少ない。ちなみに私は「チラシヲタク」ではない(爆)。 数千万世帯に同じようにこのずっしりした紙束が届いている。いったい何キロになるのだろう。またそのためにどれだけの熱帯雨林が伐採されているのだろう。リサイクルにまわるからいいというものでもないだろう。再生するまでに使用するエネルギーもまた有限である。チラシが悪いという気持ちはないが、人間が自分の欲望を満たすために、これほどの無駄に目をつぶっていることは、犯罪に近いような気がしてならない。 チラシだけではない。東京や横浜などの大都会にいくまでもなく、「フリーペーパー」という無料雑誌がターミナルなどには溢れている。随分と厚い、情報たっぷり、お得感満載の情報源である。しかし...なんぼなんでも、あれでいいんやろか。広告費を集めて情報紙を作り、そのコストは料金に跳ね返るか過当競争で強者だけが残る。そしてエネルギーは浪費されて環境が徐々に悪化するのである。「自分だけよかったらいいの?」という質問が子どもたちから突きつけられたら、大人はどのように答えるのだろう。 近い将来、地域SNSがこんな状況を改善に向かわせる手法を提案できるかも知れない。低価格で情報量が豊富で簡単でオンデマンドで環境負荷がない地域の信頼できるインフォメーションツール。「情報の地産地消」の循環サイクルがいま動き出そうとしている。 |