素敵な再開。
お盆に感謝ですね!
いろりさんもそうだったようですよ。
会社は休みだけど、午前中片づけたい仕事があったのでひとりで出社。電話もなく平和な休日のデスクで、何通かのメール返信といくつかの文書を作って、戸締まりをして帰宅する直前、社屋前の花壇に水やりをしておくように言われていたのを思い出した。バケツと柄杓を手に猛暑にヘロヘロになった花々の根本に少しずつ分け与えていたとき、見慣れない茶色のVOLVOが背後に停まり、中から見覚えのある笑顔がのぞいた。 数ヶ月前に電話では話をしたが、会うのは5年ぶりくらい。青年会議所でぼくを地域情報化の世界に引き込んだ張本人のIさんだった。10年ほど前、訳あって家族で姫路を離れ、その後東京を経由して今は元気で船橋で活躍しておられるとのことだった。ほっそり長身で超男前の先輩もすでに50歳半ばを過ぎて、眉毛に白いものが目立つぽっちゃり中年おじさんに変身していた。 「ひょこむ」には、前身になった仕組みがある。1987年7月に開設されたパソコン通信ホスト「はりまタウンネット(当時は姫路タウンネット)」がそれだ。当時の姫路青年会議所理事長のTさんや委員長のIさんには、情報ネットワークだけでなく「まちづくり」や「地域活性化」など、ここ(姫路)に住むひとりとしての「誇り」を教えられた。いわばわたしの父であり兄である存在だ。「はりまタウンネット」「はりまインターネット研究会」「ネットデイ」「ひょこむ」と続く系譜の原点であり基盤は、まさにこのふたりが語った理想であり理念であった。わたしの役割は、時代に合わせてそれを可視化しただけだと感じている。 http://www.memenet.or.jp/kotatsu/kn970401.htm ![]() あっという間に2時間以上、近況を語り合うとともに今後の指針として役立つ情報や示唆を頂いた。やはり先輩は凄い!、いつまでも尊敬と敬愛の対象である。癌で昨年他界したジャズボーカリストの石野見幸さんとの関わりも、大変感動させられた。まったく知らなかったが、石野さんとはぼくもタウンネットの時代に出逢っていたらしい。先輩はその後ご縁を大切にしながらずっと支援を続けておられたらしい。石野さんが「余命一ヶ月」と告知されたとき、東京での治療と生き甲斐であるジャズ復帰を勧めサポートしたのも先輩だったという。もう少ししたら本も出るらしいので、手にすることができる日を楽しみにしておきたい。 http://mico3.com/ ![]() 「和崎くんは、辛抱強く頑張っているから偉いよ」と誉めてもらった。そういえば、ここ20年間手法は変わっても言っていることはほとんど変わらない。これは辛抱強いというのではなく、学習能力の問題なのだろう。きっとこれからも一生変わらずに、地域情報化を語り続けるだろうし、それは志し半ばにして亡くなったTさんや、今は遠くにいてでも姫路のことを思い続けてくれているI先輩の言葉を、ただ実直に繰り返しているだけに違いない。 偶然に再会する機会を与えてくれたお盆のお休みに感謝したいと思います。 |