ティタ・メレージョいいですね。
この人のような個性的な歌い口の歌手、ゴジェネチェ、エチャグエ、バレーラ、カスティィージョなどは
歌詞を見ながら繰り返して聞いてみると、せりふ(歌詞)まわしがいかに巧みかが良くわかりますね。
聞いているとタンゴの臭いが凝縮されていてうれしくなってしまいますね。
いまからおよそ10年ほど前、あることのために私はラテン音楽を少し勉強しようとして いました。それまでの永い間、音楽を聴いて過ごすということさえ無かったのですがCD を買いこみアンデスの素朴な音色やカリブの熱いリズムを次々と聴いてました。そのとき ふと思い出したのが会社の厚生販売で買ったけど封をしたまま置いていたタンゴ全集でした。 「ランコ・フジサワを知らないなんて!君は日本人か?」とアルゼンチンのひとに呆れら れてもタンゴを知らずに20年経っていました。原題をアルファベット順に200曲余からな るCD10枚組のアルバムは歌のタンゴを中心に組まれたものでした。冊子を読みながら 次々に聴いていて突然衝撃の歌に出くわしました。聴いたことのあるメロディーなので すがその歌いっぷりがそれまで経験したことのないものだったのです。決して美しいと云 えない声で挑みかかってくるようでありながら哀愁も湛えるその女声に、心臓を鷲掴みさ れたような気持ちで聴き入ってしまいました。繰り返し何度も聴きましたが心のどこかの ザワメキは低下してゆきません。むしろますます惹きつけられてゆくのです。 その歌を本日のタンゴに選ばせてもらいました。 ティタ・メレージョの歌うエル・チョクロ 今では色んなアーティストが歌ったこの曲を25トラックを有してますが未だ彼女のこの演 唱を凌ぐものには出会ってません。ではTodotangoの音源で聴いてみてください。 http://www.todotango.com/musica/tema/24/El-choclo/ タンゴの歴史を歌いこんだディシェポロの詞はいつものゴタンの庭で訳を見てください。「訳詞へ」をクリックして表示される一覧からアルファベット順で探してください。 http://v133-130-69-136.myvps.jp/gotan89/ ティタ・メレージョは1904年10月11日、首都ブエノスアイレスのサンテルモ地区にある デフェンサ通り(五月広場から南下してドレーゴ広場に到る通りで、現在は日曜の蚤の 市に向かう歩行者天国として有名)に、ある御者の娘として生まれました。 出生証明には父親の名しか記されていませんでしたが、彼女が4歳の頃(すでに父は3 0歳で他界していました)あるウルグアイ女性が母親として判明し追記されました。「私は 空腹というものを理解した。それは恐怖であるし恥でもあると知っている」彼女は孤児院 で厳しい幼年期をすごしたのでした。洋の東西を問わず偉大な歌手というのはいずれも 若いときに苦労していますね。やがてコーラスガールとしてステージに立ちその独特な 歌いまわしでタンゴも歌い”罪深き花形女優”とよばれ大衆人気を博しましたが、あくまで メインは女優で歌は付け足しでした。レコードは1927年から29年の録音のあと中断し 1933年にアルゼンチン初のトーキーに主役出演して一気に大スターになったのでした。 1954年にフランシスコ・カナロとこの歌のほか "Se dice de mí", "Arrabalera", "Niño bien"など 忘れ得ない名演唱を録音し、そののちの60年代から70年代にもカルロス・フィガリや エクトル・バレラの楽団とで40曲を超える録音をしました。 タンゴの代表的面構えのひとつである荒っぽくヤクザな雰囲気を表出させた大歌手は2 002年のクリスマス・イブに98歳の生涯をとじました。 |