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2008年11月14日(金) 
社会において個人個人の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況からくるパラドックスを「社会的ジレンマ」と呼び、その有名な比喩のひとつに「共有地の悲劇」があります。

共有地である牧草地に複数の農民が牛を放牧する場合、農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧するのが普通です。牧草地が共有地ではなく自身の所有なら、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するでしょうが、共有地では、「自分が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自分の取り分が減ってしまう」と考えて、牛が無尽蔵に増え続ける結果となり、資源である牧草地は荒れ果てすべての農民が被害を受けることになります。

共有地の悲劇が起こりにくくする方法として、米国の公共経済学者のケネス・アローは、『社会選択と個人の価値』の中で、資本主義的な民主主義国家においては、政治体制による政治的決定「ヒエラルキー・ソリューション」、市場メカニズムによる経済的決定「マーケット・ソリューション」、そしてもうひとつの方法として「比較的小さい社会単位」に適用されるものとして、伝統的規則や慣習による方法(一般的に「慣習法」とよばれ、「入会権」などもそのひとつ)を「コミュニティ・ソリューション」として挙げています。

それぞれには課題も包含していて、ヒエラルキー・ソリューションでは実施するに大きなコストがかかるとともに住民の利便性も制限されます。また、マーケット・ソリューションでは、お金さえ払えば何をしてもいいという理屈になり、共有地の資源はごく一部の人たちに占有されも使い尽くされてしまうことが考えられるのです。このように、双方共に真に望ましい解決法を提示してはいないのですが、コミュニティ・ソリューションは、近代社会ではますます稀になりつつあることが指摘されています。

地域SNSのような、ほどよい強さの紐帯によって構成されるほどよく閉じた比較的小さなネットワークは、コミュニティ・ソリューションを前提に運営されるべきであろうと私は考えています。地域SNSには、「与える喜びを感じ合う」という贈与経済のメリットを共有する関係が成り立っており、まさに支え合うことをコミュニティの社会規範として当たり前のように受け入れているつながりがそこにあります。空間への信頼と慣習法的な規範が基盤として誰にも認知されているからこそ、そこに便利で安心安全な環境を享受できるのであって、個人の利益への制限も甘受して「共有地の悲劇」を起こすことなく成り立っていくのでしょう。

閲覧数2,824 カテゴリ管理者のつぶやき コメント6 投稿日時2008/11/14 12:41
公開範囲外部公開
コメント(6)
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  • 2008/11/14 14:36
    ヘイジさん
    「共有地の悲劇」のストーリーを読んで、大学時代に習った「合成の誤謬」なんていう言葉を思い出しました。(ちょっと意味違うのかな)

    >「与える喜びを感じ合う」という贈与経済のメリットを共有する関係が成り立っており、・・・

    個人的には、まさにそのような地域社会になってほしいと地域SNSを企画したような気がするのですが、地域SNSの成立土壌として、そうした地域社会が先にあるべきなんでしょうかね。
    開設に向けて話し合っているうちに、順序間違っちゃったかなぁという気もするんですよね~。

    まあ、自分こそ合理的であると考え、他者の意見との摩擦が生じている現況から見れば、自分がまさしく「共有地の農民」なのかもしれないです。
    にゃはは(笑)
    次項有
  • 2008/11/14 14:46
    > ヘイジさん
    > 個人的には、まさにそのような地域社会になってほしいと地域SNSを企画したような気がするのですが、地域SNSの成立土壌として、そうした地域社会が先にあるべきなんでしょうかね。

    どのような地域でも、大なり小なり土壌はあると思います。ただ荒れ地になっているその場を、自分で鍬をもって耕し始めるか、トラクターがないと作業はできないと諦めるかという、アプローチの違いではないかと思います。
    ヘイジさんのイメージする「地域社会」はどこにもありません。それは「創る」ものなんですよ。
    次項有
  • 2008/11/14 18:44
    何となく…ですがイメージ出来ました。
    忘れないうちに規則案づくりに
    鋭意、取り組んでみます。

    次項有
  • 2008/11/15 16:25
    数学や論理学では有名な「囚人のパラドクス」というのがありますが、SNSに限らず、個人の局所的な利益最大化行動が結局は利益を最小化するということがよくありますよね。
    そこへの有効な補助線はやはりゆるやかな互助なのでしょうか(けして全体主義的奉仕ではない)。
    次項有
  • 2008/11/15 16:30
    > まっくすさん
    宇部の元気再生を実現するネットワークづくりのために、いい意味での「おきて(掟)」づくり、よろしくお願いします。
    次項有
  • 2008/11/15 16:33
    > コギト エルゴ スムさん
    > そこへの有効な補助線はやはりゆるやかな互助なのでしょうか(けして全体主義的奉仕ではない)。

    唯一の方法ではないと思いますが、比較的小さな社会ネットワークにおいては、実現性も高くかつ大変有効な手段ではないかと思います。ネットワークの中でできる「適度な空隙のある関係性」を、ネットワーク同士にも適用できたら、これが社会全体のモデルにも成り得るのではないかと考えられないでしょうか?

    次項有
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