社会において個人個人の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況からくるパラドックスを「社会的ジレンマ」と呼び、その有名な比喩のひとつに「共有地の悲劇」があります。
共有地である牧草地に複数の農民が牛を放牧する場合、農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧するのが普通です。牧草地が共有地ではなく自身の所有なら、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するでしょうが、共有地では、「自分が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自分の取り分が減ってしまう」と考えて、牛が無尽蔵に増え続ける結果となり、資源である牧草地は荒れ果てすべての農民が被害を受けることになります。
共有地の悲劇が起こりにくくする方法として、米国の公共経済学者のケネス・アローは、『社会選択と個人の価値』の中で、資本主義的な民主主義国家においては、政治体制による政治的決定「ヒエラルキー・ソリューション」、市場メカニズムによる経済的決定「マーケット・ソリューション」、そしてもうひとつの方法として「比較的小さい社会単位」に適用されるものとして、伝統的規則や慣習による方法(一般的に「慣習法」とよばれ、「入会権」などもそのひとつ)を「コミュニティ・ソリューション」として挙げています。
それぞれには課題も包含していて、ヒエラルキー・ソリューションでは実施するに大きなコストがかかるとともに住民の利便性も制限されます。また、マーケット・ソリューションでは、お金さえ払えば何をしてもいいという理屈になり、共有地の資源はごく一部の人たちに占有されも使い尽くされてしまうことが考えられるのです。このように、双方共に真に望ましい解決法を提示してはいないのですが、コミュニティ・ソリューションは、近代社会ではますます稀になりつつあることが指摘されています。
地域SNSのような、ほどよい強さの紐帯によって構成されるほどよく閉じた比較的小さなネットワークは、コミュニティ・ソリューションを前提に運営されるべきであろうと私は考えています。地域SNSには、「与える喜びを感じ合う」という贈与経済のメリットを共有する関係が成り立っており、まさに支え合うことをコミュニティの社会規範として当たり前のように受け入れているつながりがそこにあります。空間への信頼と慣習法的な規範が基盤として誰にも認知されているからこそ、そこに便利で安心安全な環境を享受できるのであって、個人の利益への制限も甘受して「共有地の悲劇」を起こすことなく成り立っていくのでしょう。