いいお話ですね。
読んでいて感動しました。
素晴らしい出会いがあったんですね。
子供さん、今は元気で生活されているんですね。
良かったです。
樋口先生って素晴らしい方だったんですね。
ホワイトドックもお会いしたかったです。
長女の命の恩人のドクター、樋口晃先生が亡くなりました。 とてもとてもショックです。 先生、、、もう一度お会いして、お礼をしたかった。 私たち夫婦の最初の子どもがアメリカで先天性腎低形成による腎不全状態で生まれてきたことは、プロフィールに書いた通りです。 コロンビア大学Baby'sHospitalから紹介状をもらって 帰国後真っ先に向かった病院が、 樋口先生がおいでになった富山医科薬科大学医学部付属病院小児科でした。 長女は母の不徳の致すところで大変な障害を負って生まれましたが、 その後、何かに導かれるように次々と素晴らしいドクターに出会う運命を持った子です。 最初はコロンビア大学のDr.Nash。 この方は全米屈指の小児腎臓病の権威、 そして帰国後にお世話になることになった主人の母校であるこの大学の小児科教授が、 これまた小児腎疾患の専門家であったという幸運が、 この子が成人を過ぎても元気に過ごしていられるという 当時は予想もしなかった結果を生み出してくれたのだと思います。 樋口先生は当時、小児科病棟医長でいらっしゃいました。 教授から「主治医の樋口ドクターです。」と紹介された時のことを今も覚えています。 目ばかりギラギラした土気色の顔、 少し右足をひきずり、白衣のポケットに手を突っ込んだままウロウロされる様子は、 とても印象の悪いものでした。 そして開口一番 「お父さん、お母さん、この先にこの子があなた方にかける苦労のことを思えば、ここで治療を打ち切ることを非難する人は誰もいないと思いますよ。」と・・・ 実はアメリカでも同じことを言われたのです。 「あなた方はまだ若い。まだまだ子どもをたくさん産むことができる。 今、この子にこれ以上辛い思いをさせても、良い結果が出るとは限らない。 このまま治療をせず、安らかに見送ってあげることも、親として選ぶ道かもしれない。」 悩みました。 主人は「日本に帰って、最先端の治療を受けさせよう」というのですが、 毎日小さい身体に針を刺されて泣き続ける長女を見続けている私は、 「もうこれ以上この子を泣かせたくない」とも思ったのです。 悩み続けた挙句、「もしかしたら腎移植で救えるかも」と一大決心をして日本に帰って来たのです。 そんな私たちに追い討ちをかけるようにまた・・・。 「この先生は全然親の気持ちがわかってない」 風貌や物腰も相まって、先生のことが全然好きになれませんでした。 まだ20代だった私には、先生の深い思いがわからなかったのです。 ・・・先生はご自身が透析患者でいらっしゃいました。 土気色の顔は、週3回の夜中の透析のためでした。 健康なドクターでも大変な激務の小児科医を、 透析をしながら務めておられた樋口先生。 腎不全であることがどんなに不自由な生活を強いられるかを、 身を持ってご存知でいらしたのです。 後年、腎臓移植のために転院した先の病院の主治医の先生がしみじみとおっしゃいました。 「自分と同じ病気の子どもを治療するというのは、できるものじゃない。 ボクは本当に樋口先生を尊敬する。」 先生の不眠不休のご努力のおかげで、 富山でははじめて手がけるという乳児の腹膜透析を大きな問題なく続けることができ、その結果、2歳で腎臓移植を受けることができました。 最初はあんなに「苦手」だった樋口先生とも、 2年間ともに戦った戦友のような間柄になりました。 長女の移植成功を本当に喜んでくださった先生。 その後、福井へ転居することになり、しばらくお会いできなかったのですが、 大学病院から国立療養所へと転勤になられた時に 長女の成長を見ていただくためにご挨拶にうかがったのがお会いする最後となってしまいました。 「先生、最初この子の治療をやめようかっておっしゃったの、覚えてますか?」 「え?そんなこと言ったかなあ。」 「そうですよ。私すごくショックだったんですよ。」 「そうだったかなあ。でも、お母さんがんばって良かったね。」 ・・・頑張れたのは、先生のおかげ。本当に、本当にありがとうございました。 最後に拝見した先生の姿は、 富山国立療養所の玄関で私たちを見えなくなるまで手を振って送ってくださったお姿。 私も、車のバックミラーに映る先生をずっと見てたんですよ。 先生、最初「嫌い」って思ってごめんなさい。先生のこと、大好きです。 その後、富山市内で小児科クリニックを開業され、 一度長女を連れてご挨拶に行こう、行こうと思いながら、 ついに果たせませんでした。 樋口先生、 先生に助けていただいたあの子は、栄養士になって施設のお年寄りの食生活を支えています。 お元気でいらっしゃる間に、直接お礼を申し上げたかった。 いつまでも先生のこと、忘れません。 ご冥福をお祈りします。 合掌 |