少し覚めた目で見ています。
あまり熱くなるのは、良くない気がして。
でも、もちろん彼に期待しています。
就任演説時のあの世界中の熱気はなんだったのでしょうか?
演説内容は控えめなものでした。
フランクリン・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディーを
彷彿とさせるところもありましたが、
選挙期間中の鋭さは見せませんでした。
世界の指導者として落ち着いたものともいえます。
ところで、あの就任演説を聴いたアメリカ人の熱気は
なんだったのでしょうか?
「What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task. 」
(今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。
それは、一人ひとりのアメリカ人が、自分たち自身や国、世界に対する責務があると認識することだ。
その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たし、私たちアメリカ人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。)<朝日新聞サイト>
さて、この言葉を聴いて熱くなれる国民がを、
私たち日本人の多くが理解できるでしょうか?
新たなリーダーが我が国に生まれ、
このような所信表明演説をしたとき、
国民やマスコミはどう受けとめるのか。
問題は政治家や官僚にあるのではなく、
国民自らに有りはしないかと認識する度量が、
今の日本国民に有るのか。
自らを含めて疑蓋を禁じえない。
だからといって、日本人がアメリカ人に比べ
劣っているなどとも到底思えない。
自意識過剰かもしれないが。
結論からいって、あの熱気の正体は、
初のアフリカ系大統領誕生ということもあるが、
星条旗に絶対の忠誠を誓う
アメリカ人独特の気質であろう。
ヨーロッパや日本のように、
歴史の古い国の国民が真似ることのできないものだ。
ところで、この就任演説で個人的に最も気に入ったくだりを
ご紹介して、とりとめのないブログを括ることにする。
「Forty-four Americans have now taken the presidential oath. The words have been spoken during rising tides of prosperity and the still waters of peace. Yet, every so often the oath is taken amidst gathering clouds and raging storms. At these moments, America has carried on not simply because of the skill or vision of those in high office, but because We the People have remained faithful to the ideals of our forbearers, and true to our founding documents. 」
(これで(私を含め)44人の米国人が大統領の宣誓をしたことになる。宣誓は、繁栄の高まりや平和な時にも行われてきた。だが、多くは、雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で行われた。そのような時に米国がやってこれたのは、指導者の技量や洞察力だけによってではなく、国民が先人の理想に誠実で、(独立宣言など)建国の文書に忠実だったからだ。 )<朝日新聞サイト>
最後までこのブログをお読みいただいた方があれば、
真摯に感謝申し上げます。
あの大戦から多くを学んだはずの私たちは、
その当時の先人の理想に誠実で、
建国の文書ともいえる日本国憲法に忠実たろうとしているのでしょうか。