●共有地の悲劇とコミュニティ・ソリューション 「共有地の悲劇」とは、「コモンズの悲劇(The Tragedy of Commons)」とも呼ばれるパラドックスのようなモデルで、生物学者ギャレット・ハーディンが1968年に『サイエンス』誌に論文「The Tragedy of Commons」を発表したことで、広く一般に認知されるようになった。集団のメンバー全員がそれぞれ自発的に協力的な行動を取ればすべてのメンバーにとってよい結果になることは分かっているのに、個々のメンバーがそれぞれ自分にとって合理的(利己的)な行動を取ろうとすると、結果として誰もに不利な状況がもたらされるという、ひとつの典型的な社会現象を表したものである。 たとえば、共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受ける。 現在社会にもいたるところにこの現象は起こりえる。近所に小さな公園があり付近の住民の憩いの場となっている。不心得者がよく空き缶やゴミを捨てていく。みなでそれを注意すればいいのだが、私一人だけ捨てないようにしても、他のみなが捨てれば同じことなので、結局みんなが捨てることになる。その結果、公園はゴミだらけになってしまうのだ。 公園のゴミ問題においては、ふたつの解決方法が考えられる。ひとつは監視員を雇ったりポイ捨てをする人が入れないように権限と強権を使って第三者が統制する「ヒエラルキー・ソリューション」。もうひとつは入場料を徴収して掃除する人を雇って、問題を経済的に解決しようという「マーケット・ソリューション」の考え方である。「ヒエラルキー・ソリューション」の場合、実施するには大きなコストがかかり、住民の利便性も制限される。「マーケット・ソリューション」では、お金さえ払えば何をしてもいいという理屈になり、共有地の資源はごく一部の人たちに占有され使い尽くされてしまう。これらは、真に望ましい解決法を提示してはいない。 米国の公共経済学者であるケネス・アローは、彼の博士論文でもある『社会選択と個人の価値』の中で、資本主義的な民主主義国家における社会的選択には、政治体制による政治的決定、市場メカニズムによる経済的決定、そしてもうひとつの方法として「比較的小さい社会単位」に適用されるものとして、伝統的規則や慣習によるものを挙げている。しかし「近代社会ではますます稀になりつつある」と課題も述べており、金子郁容(慶應義塾大学教授)は、これを「コミュニティ・ソリューション」と呼んで現代社会におけるアプローチを明らかにしようとしている。 昨今の地域社会では、政治によっても経済によっても根本的な解決が期待できない、複層的に絡み合った課題が増加している。これらをコミュニティで解決しようという努力が各所で試みてはみられているものの、従来手法の延長線上の方策ではなかなか困難な状況である。コミュニティ・ソリューションには、そのパワーを顕在化する仕組みが必要であり、信頼と互酬性の規範が相互強化的に働く機能をネットワークに顕在化することができれば、地域SNSによってこの部分を補完できるのではないかと考えられる。 |