小学校の階段も高さなどが人間工学で研究された結果あの階段になったと聞いています。
子供の時に親と同じ高さでは都合が悪いのか
それとも、社会では大人の高さが当たり前だから、どちらがよいのかは知りません。
記憶では、エレベ-タ-のない公共住宅の階の高いところの子供と低いところの子供では
足の長さに差がある。つまり、足を使う子供の方があしがながくなるなんて結果があったように思います。
すると、階段は低い方が人間光学的なのか
高い方が成長に良いのか分からないでしまってます。
ひところ人間工学という言葉がよく聞かれましたが、今ではあまり聞かれなくなりました。技術畑の方はよくご存知だと思いますが、これは1つの確立された工学分野というより、多くの工学分野に共通して用いられる 「考え方」 であるといった性格のものだと思います。 「聞かれなくなった」 からといって、この考え方=思想が消えてしまったわけではありません。いろいろなところで生かされているのです。 人間工学を僕は次のように理解しています。つまり、工業製品やそれを使用した装置や施設が使いやすいものとなるように、人間の生理的・心理的な面を考慮した設計を行うことであると。 例えば、土木や建築の分野で言えば階段やスロープが安全・快適に利用できるような寸法を考える。工業製品で言えば左利きの人のためのハサミや包丁を作ったり、携帯電話やリモコンのキーの大きさや配置を考える。といったことです。(参考に、僕が25年ほど前に書いた階段に関する論文の一部を PDF ファイルで添付しておきます。) しかしこれは容易なことではありません。上に挙げた 「左利きのためのハサミ」 や幼稚園の階段なら上手くいきますが、不特定多数の人が利用する公共施設のような場合は極めて難しいのです。 下の写真は誰もが利用する駅の改札機です。どちらも阪急電車が使用しているものですが、左の古い改札機は挿入口が斜めになっています。これが右利きの僕にとっては非常に使いにくいのです。切符やカードを持ってみれば分かりますが、人間の手の構造上、外向きに持つことは不可能とは言いませんが極めて難しいからです。かと言って、左利きの人は楽に挿入できるかといえば体を捻る必要があるから、これくらいの角度では五十歩百歩だと言えます。 この改札機を設計した人や採用した阪急電車がどういう考え方であったのかは知りませんが、多数派である右利きの人を犠牲にし、少数派の左利きの人もそれほど使いやすいと思えないこの機械は明らかに失敗作だと僕は思います。それをするなら、左利きの人が使いやすいように左側にも挿入口をつけるべきでしょう。今ならこのことは十分可能なはずです。右の写真のように現在の改札機は従来の機械の半分ほどの厚さになっていますから・・・。 この改札機に関してもう一つの問題があります。それは古いものと新しいものが混在することです。これは利用者にとって非常に使いにくいことはだれでも感じることだと思います。 設備投資には企業としてある程度の限界のあることは分かりますから、一定期間新旧の機械が混在することは止むを得ないでしょう。しかし、その期間は企業努力で可能な限り短縮すべきです。 全部調べたわけではありませんが、京阪電車では少なくとも僕が利用する駅の改札機は大分前から100% IC カード対応型になっています。これに対して阪急電車では、三宮や十三といった主要駅でもまだ古い機械が存在します。利用者=お客さんに対する企業としての姿勢が両社の間にこれだけの差があるということです。(駅の数が多いからというのは言い訳になりません) 以前話題にした 「ユニバーサル・デザイン」 が難しいのはこういうところにあるのです。しかしそれを克服してこそ技術者として、また企業としての存在感があると思うのですがどんなものでしょう。 ユニバーサル・デザイン→http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=6826 |